浜田省吾のコンサートレポート  2000〜2007

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2007年11月27日

 酒田には一時間足らずの秋田県内に住んでおりますが"My First Love is Rock'n'Roll”のチケット、ファンクラブの先行は岩手で使い、イベンターの先行は秋田、最終日の酒田は一般抽選で頑張りましたがやっぱり無理でしたε=(/。\;)

チケットがないので、コンサートには参加できません。それでも会場に行き、入り待ちで浜田さんに逢うこと(見かけること)ができましたヾ(>y<;)ノ

 酒田は曇り空、雪こそ降らないけれども寒い一日でした。
私が会場に着いたのは2時前です。でもすでに浜田さんが入る会場「希望ホール」の裏口の、真向かいの駐車場の屋上(?)にontheroadのトラックと何百人もの入り待ちの方々が、浜田さんが歩く道路を見つめて立っていらっしゃいました。
 

        


 私は一人だったので、どなたとも話はしませんでしたが一時間以上もその場にいますと、いろいろな会話が聞こえてきます。
そして驚いたのは「チケット譲ってください」カードを持ったたくさんの方々もけっこう遠方からいらっしゃってるらしい、ということです。(聞いただけでは、仙台 を朝5時に出てきたとか、千葉から飛行機に乗ってきた、とかですね)
 早い人は朝の8時くらいから、その寒い駐車場で待っていらした、とかも聞こえてきました。顔見知りのファンどうしの挨拶などもそこかしこで聞かれ、東北の片田舎(ですぜ、まったく!)でのコンサート、この広域集団はなんざんしょ、という感じです(◎_◎)

    

 3時を過ぎた頃から、次々とバンドのみなさんが会場前に降り立ちました。歓声がわき上がり、みな、我々に手を振って、颯爽と会場に入って行かれます。 また会場からイベンターの社長さんとか、ホールの館長さんとか思われる方々も、時折姿を見せます。入り待ち軍団の熱気に、関係者も気もそぞろなのでしょうか?(^m^)
 一台車が通るたび、今度こそ浜田さんか!と色めき立つので、通りすがりのドライバーの方は、さぞ驚いたことでしょうね。

 そんなこんなで浜田さんが来るまではずいぶん長い時間に感じました。(それでも30分とは違わなかったかもしれませんが)
 そしてついに浜田さんの乗ったワゴン車が!!歓声とともに、人々の群れが駐車場のフェンスに寄り、一ミリでも近くに行きたい!という想いに溢れかえっています。
 いつもの入り待ちと違い、入り口と私達の間には道路がありましたので、なんだかステージと客席のようです。ただ、客席が高い場所にあるので、それがいつもとは逆です。
 車から降りた浜田さんを、たくさんの笑顔と振られた両手が待ち受けています。 
いつもは手をさっと手を振って、周囲を見回すだけの浜田さん、今回は道路に立つと、まずみんなの顔をあちらからこちらへと見つめてくれました。そしてとてもとても長く、何度も手を振って下さり、その存在感にみながとろとろにとろけそうになった頃、
両手を口にあて、腰をかがめ、私達(って、私個人ではもちろんないけど)「寒い中、ありがとう」って、囁くように優しくおっしゃってくださいました(^.^)
 そんなに近くはないのですけど、声も極力抑えて囁きでしかなかったのですけれど、その一言がまるで目の前で言われているように、はっきりと聞こえました。

 入り口に向かいながらも何度か振り返って手を挙げてくれましたが、ついに姿は希望ホールの中へと消えてしまいました。

 ため息を吐きつつも、チケットない組の私はどうにもなりません。
 車を停めてある市役所(希望ホールの隣)にとぼとぼと歩いていくと、会社の同僚が友達4人と来ていたのにでくわしました。彼らも全員チケットがないんだそうで(ーー;)
 周囲には『チケット譲って下さい』の紙を持った人たちが、一人とかグループとかでたむろしています。(来た時にいたダフ屋さんたちは、もう姿がみえなくなっていたので、うまく営業できたのかもしれません。)
 こんなにたくさんチケットない組が多くて、それもみなずいぶん遠方から来てるのにどうするんだろう、と思いましたがあの入り待ち会場(?)の雰囲気では、仲間同士のチケットある組の誰かがコンサートを終えるのをどこかで食事をしながら待っていて、そのあと合流してのオフ会ってのがパターンのようでしたね。
 知り合いの友人たちもこのまま食事に行こう、と話していました。(彼らは20代の男女で、ライブ参加は未経験なんだそうです。でもせっかく近くに来るのだから、とやってきたそうですが、とりあえず入り待ちで生省吾は拝めたわけです 。ただし、私がいた屋上でなく、隣の建物の上だったので、省吾の声は聞こえなかったそう。「なんて言ってたの?」と聞かれました。)

 それからもしばし未練たらしく会場周囲をうろつき、帰路につきました。

 長いツアーの最終日、きっと燃えに燃えたライブだったことでしょう。会場にいなくても、ちゃんと脳内変換できるから、十分にワクワクドキドキを想像できます。車で省吾と合唱しながら、それもご機嫌な一時でした。

 決して若いとは言えない浜田さん、そして私ですけれど、また絶対にどこかで逢えると、心から信じています。
省吾、またね♪
 

 

2007年6月3日

 「My First Love is Rock’nRoll」ソロデビュー30周年記念コンサート、今回は秋田県民会館です。v(^-^)
会場には4時前に着いたのですが、ontheroadの大型トラックが6台も停まっていました。いつもはそこに車を停めるのですが、恐れ多くて会場に乗り入れることがはばかられ、近くの駐車場に入れたら、隣が岩手NO、向かいが宮城NO、山形、青森、福島もあって、やっぱり想いはみな同じですね!

    


 会場の前でトラックのまわりをぐるぐる回っていると、和服のおばさま達がたくさん通られます。隣の千秋公園でお茶会が行われていたんですね。お天気もよくて、緑は鮮やかで、本当にコンサート日よりです。
 掲示板に貼られたポスターに見入っていると、「チケットある??チケット残ってない?」とダフ屋さんが声をかけてきます。「誰に来たの?浜田省吾?大川栄作じゃないんだね。」(2日(?)後が大川さんのステージ)って、悪かったですね!演歌年齢のオバサン二人で!
 だけど、きっと大川栄作さんとかを見に来られる方って、衣装が違うでしょうよねぇ〜〜この会場は、老い(-"-;) も若きもジーンズが圧倒的。(もちろん私もだけど。michiko5はいつもスカートの人だな。)さまざまな省吾Tシャツを着られてる方も実に多くて、なかなか開場しない会館の前で、さんざめくファンの人たちを眺めてはいろいろ思ったりしました。

     


 5時半開場、6時開演の予定が、それぞれ15分遅れましたが、その理由が、なんと県民会館が狭すぎて、機材が入らなかったからですって!!
 スタッフの方々は、お昼も食べずに朝からずっとセッティング、何時間もかかってしまったんですねぇ〜
ステージで省吾も遅れたことを謝りながらそのことを言っていましたが、R&Sの公式サイトのブログでも、スタッフが食べられなかったお弁当の写真とか、機材の山とかの写真が載っていまいした。
 いつも来るたび、「ここはいい会場だけれど、ステージが狭くて、奥行きがない」と何度も言っていた省吾。今回もこんなにお手間を取らせて、秋田県民としてお詫び申し上げますm(_ _)m

 定員1890人の会場はチケットの倍率が高くて、イベンターの先行でも難しい雰囲気でしたが、無事にGET。なんとなんと、前から3列目だったのですよ!!(大分右側ではありましたが。)
 ハハハハ!ヾ(≧∇≦)〃 省吾も町支さんや古村さんも、全部そのままに見える!汗も、髪の毛も、小じわまで(~-~;)

 同じツアーなので、基本は岩手と同じですが、80年代の歌は「片想い」。ああ、いろいろな思い出が・・・
もうとっても座ってなんていられないので、みんな立ったままでの恒例の年齢調査です。小学生が何人かいましたね。会場の雰囲気、ちょっと怖くはなかったでしょうか?10代もポロポロ。20代もなかなか。しかし、やられちゃいました、30代と40代のこの圧倒的多数!!こうなっちゃったんですねぇ〜〜 みんな両手あげなら怒濤のごとく、ぴょんぴょん跳ねる。「じゃ、50代の人!」(ハイハイハイと両手を振りまくる私達。)「そうか、そろそろ無理が利かない年だね。そのままでいいから。」(にゃ==というような反応。)「分かった分かった、跳ねたいんだね、じゃ、跳ねて。」(きゃーきゃーとぽこぽこ跳ねる私。)「60代以上の方。」とそれに最敬礼の省吾ですが、最近の30代のこの数、これは何なんでしょう。

 秋田は98年からなので、8年半ぶりです、と言っていました。1日に青森でコンサートをして、昨日は深浦とか男鹿とかを通り、天王やら出戸浜あたりを通ってきたとか。海に沈む夕日を出戸浜で見たのかな?(サイトのFCのビデオクリップには、夕日の海を背に、海岸で「今秋田です」と語る省吾が見られました。)東京では絶対に見られない光景でしょうし、移動中のお天気も季節もとてもとてもよかったということで、ひとときの旅愁に浸ったことでしょう(^.^)
(とにかく省吾の話してくれた移動中の景色が、そのままブログに写真として載っていること、会場に入る省吾と入り待ちのファン、会場周囲の景色なども、たっくさんあって、以前には考えられないネットと現実のリンクですよね。)

 ステージでの省吾は、ほんと熱くて軽やかです。連日のハードなコンサートや移動を思うと、同年代の私など、奇蹟的だと思うくらいの声量と動きですが、今回は前列に20代の二人の女の子が揃いのTシャツを着て、とにかく実にノリノリなのですよ。そういうことでは周囲の動きからも完全に突出していまして、場所も2列目ではステージからもばっちり、と。
 さすがに省吾はサングラスなので目線は分からないのですが(それでも私のこと、3度は見た!と思いこませて・・)他のメンバー、その二人の女の子たちと、アイコンタクト、取る取る!!特に省吾が「路地裏の少年」を23 才の頃に戻って、場末のバーなんかで歌ってるシチューションの時、そのバーの客を演じるでしょ?そのステージから、彼女たちと目ぶり手振りで語らっているの!私はすぐ後ろにいるから、実に面白く拝見させていただきましたのことよ。町支さんが二度に渡ってピックをそこに投げたあたり、なんか「魚心水心」って言うんだっけ?さもありなん!って思いましたよん。

 またすぐ隣は30代の奥さんと40代の旦那様、と言う感じ。奥様の方が古いファンなのか、歌は全部一緒に歌ってる。 でも旦那様もまた、えっらいノリようでね。だけど、いちばん微笑ましかったのは、アンコールの前あたりから、二人しっかり手を握っていたこと!! キッキッキ(^m^)と私は笑っちゃったけれど、省吾はステージの上から、それを見つけたかしらん??ちょっと嬉しかったですよん。

 ということで、最後はちょっと喉が大丈夫かな?と思ったくらい、ずっとずっとエキサイティングな3時間でした。
だけど安定していて、奥行きがある感じ。歌もそうだけれど、省吾の大きさが、それを感じさせてくれるのでしょうね。
 とってもとってもいいステージでした。
 昨年もあんまりよくて、もしかして最後だからこんなにいいのかもしれない、って思ってしまった瞬間があるのですがそんなことはありません。ちゃんとまた逢えました。
 だから、きっと次ぎもありますよね。

 どうか、また逢わせてくださいね!!!

 

 

2006年11月3日

 「My First Love is Rock’nRoll」ソロデビュー30周年記念コンサートの岩手県民会館に行って来ました。

 朝の6時半に家を出ていつものmichiko5の家へ向かう途中、国道7号線沿いの日本海から一面煙が上がっています。
とても寒い朝だったので、海面から空中に水蒸気が上がっているんですね!生まれて初めて見ました、そんな一日の始まりです。
 秋田県と岩手県の県境、仙岩峠は紅葉が真っ盛り!そして地図と道路標識を眺めながらたどり着いた岩手県民会館は官公庁が建ち並ぶ、静かな場所。近くの岩手公園も手入れされた木々が紅葉を誇っていました。

  
    秋田岩手の県境、仙岩峠            裁判所の敷地内の石割桜(と、私_(^^;)ゞ)        岩手公園の紅葉

 でへへへ、盛岡はとても相性のいいところ(^-^) 2001年のアリーナツアーと同じく、またしても入り待ちに遭遇し手を振って貰いましたヾ(≧∇≦)〃 白いワゴンから出てきた省吾は黒いパンツと黒いシャツ,エンジのネクタイ(かな?よく覚えていない、舞い上がっていたもん_(^^;)ゞ)、きっちり方向転換をして、あっちのファン、こっちのファンにちゃんと手を振ってくれました、オーラが立ち上っていました♪
 実は駐車場の車の中で待ってる間、リハーサルの音も聞こえていたのです!確か「ミッドナイトブルートレイン」もあったと思ったのですが、本番では歌ってくれませんでした〜 う〜ん、聞き違い? 会場に入っちゃうと、これはかけらも聞こえなかったので、ずっと車の中にいて特権を行使していました(*^.^*)

 

   
    岩手県民会館                    岩手の青空                         中ではすでにグッズ販売が!

 5時開場で5時半開演ですが、グッズ販売は早くからやってくれていて、さすがロードアンドスカイ(??)
 開演前に一つ前の席についたオニイサンが、やおらトレーナーとシャツを脱いで、省吾Tシャツに着替えました。
すぐ後ろにいた私たちおばちゃんは思わず目が点(*・ω・*) ひゃ〜 いいもん見せてもらった(x_x) ☆\(^^;) 見渡すと、30のロゴが入ったTシャツの若者たちが目立ちますね。

 そうこうしてるうちに、いよいよ5時半です!
バンドの音が始まったら、幕はまだでもとても座ったままでなんて居られませんよねヾ(≧∇≦)〃
 「A PLACE IN THE SUN」「光と影の季節」から始まるとWooWooで拳の嵐!!そしてそのまま、MCも年代別拍手も全部立ったまま!(前半、MCで一度座っただけでした)今回も盛り上がりました。
 30年ということで1976年のデビュー当時を小芝居で再現してくれました。場末のスナックで「東京から来た浜田省吾デス」って、「もし、知ってる方がいらっしゃったら一緒に歌ってください」って、全部大声で歌っちゃいましたよ!「路地裏の少年」♪ そして「生まれたところを遠く離れて」の弾き語り〜〜 う〜
(当時はまったく考えたこともなかったけど、子供達が大人になった今、親と子の立場を逆転させて聞きました。)

 80年頃の曲を二つ。「愛という名のもとに」と「いつわりの日々」だったかな?
「どっちも壊れた愛の歌ですが、当時の浜田省吾は何を考えてこんな曲ばかり作っていたのでしょうね。」って省吾、そんなこと、自分で言うか??
 私は当時、「省吾」が胎教でした(x_x) ☆\(^^;)  その子も今は26歳、「省吾」は歌いません(ーー;)

 MCでは「中国や韓国や、アジアの仲間たちは、日本人が過去の歴史をちゃんと学んでいない、っていうけれど、ほんとに習ってなかったんだね。教科書に何が書いてあっても開かなくちゃどうにもならない」というような内容で世界史などの不履修問題をちらりと批判、みな大笑いでのけぞりました。

 それから以前は盛岡に来ると安比高原でスキーをしたそうです。最初「安比は検定で一級を取った場所なんだ」って言って、みんな「え〜?」って半信半疑の声。でしょ?私もそんな話しは初めて聞きました。
そうしたら、本当は初めて一人でリフトから降りれるようになった場所だそうです(うん、納得(x_x) ☆\(^^;)  )
 そういえば、秋田にも真冬に来たことがありまして、田沢湖スキー場に行くためにこの時期を選んだ、と言っていましたが私たちは猛吹雪の中を悪戦苦闘して会場までたどり着いたので、なんとか雪の季節は勘弁して欲しいと仲間内で話したことを思い出しました。(いつのことだったろうか・・その時一緒に行った友人夫婦の夫の方はもう亡くなってしまっています。省吾の30年、やっぱり私にも30年です。)

 年代別調査(!!)では30代が40代を越えちゃいましたね。我々50代はと〜っても少なくなってしまって、なんだかな・・
みんな介護とか、孫とか、仕事とか、健康とか、コンサートにも参加できないくらい抱えてるものがたくさんあるのかしら?

 ショートストーリーの映像が流れて、みんな席に座って和みます。(ちゅうか、私だけが疲れているのかな?)そして後半が始まると、また拍手と歌、リズムをとってカラダを弾ませるから、もう大変な運動量でありましょう。
 アンコールに二度応えてくれて、叫んで歌って喉はガラガラ、足はガクガク、それでも体中、心中満たされて、出待ちをしているたくさんのファンを横目で通り過ぎ、帰路につきました。
 往路とは違い、街灯もない国道46号線で奥羽山脈を越えるのは、けっこうハードです。お昼から何も食べていないので秋田側に入って、大仙市のラーメン屋さんでやっと夕飯にありつき、あとは霧の濃くなった105号線に入り、由利本荘、にかほ、とたどり着きました。12時ちょっと前でした。

 ホールツアーはいいですね♪ 省吾の年齢を考えるとかなりキツイと思いますが、やっぱりふるさとに戻ってきた感じが私たちを燃え上がらせてくれます。
 好き!と一言では片づけられない、懐かしい、や、暖かい、や、切ない、や、熱い、や、そして時の流れを一気に感じてどうにもこうにも泣きたくなってしまいます。

 まだまだ頑張ってコンサートを続けてください。私たちも年なんて忘れて、チケット取って、地図を落として、休みを取って駆けつけます。ずっとずっと、そばにいてください。
 

 

2005年9月18日

 省吾の「ON THE ROAD 2005 “MY FIRST LOVE”ツアー宮城グランディ・21に参加してきました。
いつもの友人と、今回は車で日帰りコースでした。幹線道路や仙台駅から遠いので帰りの足を省吾側慮ってくれて4時開場、5時開演と比較的早い時間のスタートだったこと、ありがたかったですね。

 グランディはワールドカップ開催のためにつくられたというとても広い総合運動場ですから、駐車スペースも会場の周囲もとてもとても広い。グッズ販売も屋外にテントをたてて行われていて、あの阿鼻叫喚(?)の混雑なくスムーズに人が動いていました。立ち並ぶテントの端で(たぶん)福田さんが、愛想をふりまきながら写真撮影に応じていたのには笑えましたが。(う〜ん、サービス精神旺盛な人♪)

    
  道路の奥に見えるテントがグッズ販売のお店。     ほほほ、ツアートラック!                総合体育館となりきり省吾のみなさん??? 

 4時5分ほど前に開場すると、あとはもう人の群れ群れ群れ・・ マナーの正しい(?)日本人はみな列を乱さす突き進み自分の席に座って省吾を待ちます(むふふ、ドキドキ 私たちは前から10列目、左から14番目の左側の席でした。)
 5時になり8000人の観客がみなひとつになっているのが時間とともに湧き上がった拍手で分かります。
 そして省吾の登場、きゃ========

 今回のコンサート、私には今まで一番相性がよかったと思いました。とても省吾が近く感じられるのです。
テーマが家族であることもまたその暖かさの要因であるかもしれませんが、今の社会をまるまる受け入れよう、というようなとても肯定的な雰囲気でした。
 早い時間に「片想い」「愛しい人へ」などが出てきた時は、なんでか泣けてきました。20何年か前、省吾に癒されていたあの私の時代背景が浮かんできて、切なくなってしまったのかな? そして、よく今ここにこうしているもんだ、とそんなことが頭をよぎります。ず〜〜っと省吾は側にいましたからね。そして、今日はその想いが一層つのります。
 
「光と影の季節」の時、Whoooと腕を突き上げるたび、省吾ったらよくぞこんな曲を作ってくれたわね!もうこれじゃ観客全部、いやがうえにも盛り上がらざるを得ないじゃないの!なんて、スタンド席のパフォーマンスをみながら、おっかしいんだか嬉しいんだか、小理屈こねながら誰よりも半狂乱の私なのですが(^m^)
 
 「DARKNESS IN THE HEART」「 Thank You」「 I am a father」「 花火」「 SWEET LITTLE DARLIN'」 これらの選曲はテーマに沿ったもの、ということでしたが、まさか生でDARKNESS IN THE HEARTが聴けるとは思わなかった(;^ω^A
そして大大大好きなSWEET LITTLE DARLIN'・・ 嬉かったなぁ
 「MONEY」「 J.BOY」あたりの合唱と腕の振りあたりはもう完全にみんなイッチャッてて、小刻みに跳ねているので、だんだん自分の体力の限界が見えてきています。
 以前なら「若くないんだから座ろうよ」と諭して(?)いた省吾も今回は抑えないし、誰も座る気がないらしく、バラードでもみな立ったまま歌に合わせて肩を揺らしています。初めて「これで身が持つかしら」と思ってしまいました。(私が身の程を考えず、はしゃぎ過ぎたんでしょうけどね。全曲一緒に歌うし、跳ねてるし、拍手は両手を挙げたままだし〜 )
 そういえば最初のMCで「体力の配分を間違えると、後半続かなくなるよ」って省吾に言われたんだっけ_(^^;)ゞ

 アンコールのセンターステージで恒例の年齢別拍手の時、30代の多さにびっくり仰天。今までは、30代と40代50代の合計は似たようなものではなかったかしらと思うので、なんで急に?って思いましたが、ピカピカの50代の私、今回は張り切って両手を挙げたのに、ずいぶん少なめでした〜〜 会場が遠すぎて、みなさん、たどり着けなかったのかしら。
 それとも30代パワーにチケットGETを負けちゃった??

 「50過ぎたら一時間半くらいにしなさい、って医者に言われたけど、そんなことできるはずがないよね。」とた〜〜っぷり3時間半のステージ、全29曲、ほんとにほんとに興奮と幸福で夢の中にいるみたいでした。

 アンコールのアンコールも終わり、ステージにはセットリストが流れていますが、ここから急に現実に。
 車の多い会場から抜け出るためには一刻も早く車を出すしかないと聞いてきたので、走って駐車場へ向かいました。
 友人を拾い車で混雑し始めた駐車場や会場内の道路は、警備員は声をひっくり返して叫び、笛がなり、さながら避難民の集団のよう(??) 強引に前の車の距離を詰めながら、一般道に出られた時には心底ホッとしました。
 帰りの道も実はよく分かっていなかったのですが、前に岩手ナンバーの車がいたし、一応道順を聞いていたので、なんとか4号線に乗ることができ、それでやっとさっきのステージの反芻が始まりました。
 52歳という年齢では考えられないハードな3時間半で、後半は声は大丈夫かしら、と思ったくらいですが、声も伸びがあって、音程もまったく揺れなかったし、バラードもとても感動的でした。
「よかったよね、今まで最高だと思っちゃった」というと隣の友人も「私もそう思う」と言っていたので、これは思い込みだけでなく、ほんとにいいステージだったと再確認です。
 省吾の心のコンディションの良さがそのまま伝わってきたのだと思いました。ほんとにほんとにいいステージでした。

 省吾、ありがとう。どうかまた機会を作ってくださいね!

 

 

2003年11月21日

 省吾の「100%FFF」仙台公演に行ってきました。4月のある出来事に、心を囚われたままの毎日に少しけじめをつけようと、リハビリの意味も含めて参加を決めました。日帰りが難しい仙台ですので、2次募集でやっと決心したせいか席は2階。それでも2年ぶりの省吾にたくさん慰められて元気になりました(^-^)

 宮城県民会館に着いたのが3時半。5時半の開演までは2時間もあるのに、もうたくさんの方々がいらっしゃいます。私もそうですが、ファンクラブのメンバーのみのイベントということで一人切りで参加された方も多いのではないでしょうか??
 ところが4時も過ぎるとたくさんの方なんて言い方はぶっ飛んでしまうほど、すっごい列ができて、グッズの販売に並んでおられました。FFF参加初めての私はただただ唖然!若くもない男女が黙々と長〜〜い列を作っているサマを、道行く人々はどう思われたんでしょうね(O.O;)(oo;)

 開場の後、渡されたオンザロード”100%FAN FUN FAN”2003特大号!(笑い)を読みながら開演を待っていると、やたら懐かしい楽曲ばかり流れます。こんなアルバムないよなぁ・・と思いながらも、その特大号の42ページに自分のアンケートを発見!!!あまりの嬉しさに、見ず知らずの隣の席の方に「これ、これ、私なんです!!!嬉しくて、誰かに言いたくて!!」と話しかけたら、(私よりはずっと)お若い彼、「はぁ」と、小さく笑ってくれました。(後で気がついたんだけど、これって全員のアンケートが載っているんじゃない??選抜したとも、全員ともどこにも書いてはいないけど) 
 そしてこれまた後の省吾の話によると、待ち時間に掛かっていた楽曲は、事前アンケートで0人、及び1人しかリクエストのない曲だったんですって!全部一緒に口ずさんでいた私はなんだったのでしょう(^m^)

 30分ほどのインタビュービデオ「省吾のニュースです」から始まり、「君に捧げるlovesong」の省吾にどよめきがおきました。でも今回の省吾はとてもラフ。観客全部が省吾のFCに入ってる、省吾のことを充分に解かって愛してるFANばかり(^-^) とっても安心して、余裕があって、暖かくて、気楽。
私たちも全員が仲間ですから、そんな省吾が嬉しくて愛しくて、24年もずっとこの人の曲はそばにいてくれたんだなぁ、となんとも感慨深いことです・・・
 振込用紙にあった「聞きたい3曲」を基準に今回は選曲したようです。全国何箇所でかのFFF、その場所ごとの集計を省吾がファイルを離しながら(ああ、お互い老眼の季節です・・(- -;))読み上げ、コメントしそしてギターを弾きながらワンフレーズツーフレーズと歌ってくれます。
ワースト10、ベスト10なんかですね。私はたぶん「星の指輪」「ミッドナイトブルートレイン」「スイートリトルダーリン」をリクエストしたと思いますが、なんとベスト1が「星の指輪」だったことには、ちょっとびっくりでした。
 
 3時間半もある長いステージでしたが、全編穏かで和やか。恒例の年齢別の拍手では、16歳の少年がいらしてみんな驚きました。省吾も「どうして僕のFANクラブなんかに入ったの?」と聞いていましたが「だって好きだから」って・・・ もう、会場ヤンヤの拍手ですよ。彼が生まれるずっと前から歌っていた省吾のこと、どういう風に受け止めているのでしょうね。
 やっぱり圧倒的に多いのが30代、そして40代です。そりゃそうでしょ、一緒に成長したんですもの、熱さが違いますよ。
 それから東北で唯一のFFF開催の仙台。青森、岩手、仙台、福島、山形、秋田は当然、東京、果ては広島の方まで!!! FFFは参加が一箇所に限定されているので広島から参加されたファンに、省吾も思わず聞いていましたね。「なんで?広島でもあるのに。あ、仙台が好きだからでしょ。」勝手に答えまで(;^_^A
「どうやってきたの?電車も車も時間が掛かるよね、何時間かかった??」彼女は「飛行機!」
 はい、そんなFFFであります(^m^)

 私は・・と言えば、省吾は私には保護者のようなものです。
FFFのアンケート、42ページにはこう書いてあります。
「育ての親。不安定な時期、省吾の曲で自分を省みました。自分を探しました。私を育ててくれました。」
 だから今回はどっぷり甘えました。普段のコンサートなら、タイトで限界ギリギリの省吾に、私たちも応援し励ますライブになるのですが、まったりのんびりのライブに、まるで父親のように寄りかかってしまいました。
 4月以降の辛かったこと、一緒に分かってもらえたようで涙ぐみました。息子を亡くした両親のように共に泣いてもらいました。(もちろん、私だけ、って言うのは分かっているけど、省吾はそれを許してくれていると勝手に思いながら見つめていました。)

 3回のアンコール、ポスターの抽選などFFFならではのエンディングでした。不安定な気持ちと、距離のあるライブでしたが、参加してよかったです。省吾の大きさ、省吾との歴史がとてもとても励みになりました。彼を知っていてよかったと思いました。
 省吾も私ももう若くはない。これからあと何回、彼に会える機会があるか分かりませんが、今回の出会い、そしてこれからのこと、ひとつひとつ大事にして行きたいと思います。 

       
グッズを買い求めるファンの群れ  会場前のあだだ        豪華なオンザロードの冊子    これ!

 

 

 

’01、9、22

 省吾の"THE SHOGO MUST GO ON"アリーナツアーに行ってきました。なんと!!アリーナ席の1列目でした。それだけではありません、2時過ぎに盛岡アイスアリーナの駐車場に着いたら、何やら人だかりが!友人が即「あ、入り待ちだ」(彼女、4月に香港まで行ってレスリーチャンのコンサートを4日参加してきた、という猛者。コンサートの猛者と呼ぼう)
  へ〜 なんて見ていたら、やってきた窓の黒いバンにみんな手を振っているのね。
「!」 気がついたら走っていました。そしたら省吾が車から降りて、みんな方を向いて手を振ってくれたの!!!!
ステージ以外の省吾を見たのは生まれて初めてでした。

 コンサートは言うまでもありません。彼のステージは特別だから。(と、ファンってのはそう言うもんだ)
 この日の省吾は突然ドラムの方が倒れたため2日前に新しい方に代わって2日とも朝2時までリハーサルだったとかで最初は声も辛そうでした。会場の作りもあって音もうまく取れてないかな、というところもあったのですが、休憩を挟んでバラードの時になると、声も伸びてきて「MIDNIGHT FLIGHT〜ひとりぼっちのクリスマス・イブ〜」とか「片 想い」とか「もう一つの土曜日」とかには疲れは全部吹っ飛んでしまったみたいに、いい雰囲気です。
 それから「...to be  "Kissin' you"」「 真夏の路上」になるとみんな総立ちのノリノリノリ・・
「午前4時の物語」は内容が辛くて私は顔をしかめてしまいましたがその後の「あい色の手紙」では手紙を持ってイスに座っての演出です。なんと私の席側に位置しました。3mくらい前にいるんですよ!(横向きですが)前の曲との繋がりを聞いていましたので、もう泣くしかない感じ・・・・・  切なかった・・

 アップビートの曲になると位置をあちこち移して目の前には彼が来るともう半狂乱!一秒でも私を見て貰いたくて、必死で手を振り、そして踊り歌いました。ほんとはTシャツも脱いでしまいたかったけど、目の前に警備の若いオニイサンがいるので、青少年の育成のため、思い留まりました。

 なんてったって20年以上のつき合いです。結婚生活になじめなくて孤独で心細かった時、仕事が終わってへとへとに疲れていた時、彼の曲があった!どれほどその曲に慰められたか・・
 生活にも新しい家族や子供達にも慣れだんだんと自分というものが分かってくる時、彼の曲があったんです。その詩、そのメッセージは私の選択の指標でした。もう、私の生き方の一部になってるその彼がこんなに近くで歌っている!!!!もうこの気持ち、なんて言ったらいいでしょう!
 
 アリーナ席というのは平らですから、後ろの方はスタンド席より見づらいですよね。そしたらなんとアンコールはそのアリーナ席の真ん中に特設ステージを作って、ぐるぐる回りながら行ってくれました。(そこに行くまでファンの中を通るのがけっこうな冒険のようでしたが)懐かしい曲を一緒に歌おう!と、たくさん歌ってくれて、ウエーヴをして跳ねて手を叩いて!その時の彼はもうノリノリ。ご自身もとっても楽しそうに見えましたよ。

 社会派(?)の彼ですから、今回の同時多発テロのことも触れました。自分の曲と対比して、報復が正しいことか、日本の行く道はアメリカに追随することか、それにしてもテロの悲惨さ、巻き添えになる一般人のこと・・・・
結局彼自身の気持ちは口にせず、問題提起だけでしたが。(最後はメンバーに「おいおい、早く止めろよ」と(笑))

3時間半という長いステージ、一秒も見逃すまいと彼を見ていました。なんて大きな人でしょう。
 
 ああ、それにしても寝不足のため体調が悪かったせいもあるけど、今日は悲しくてしょうがなかったの。
こんなに愛してる、こんなに恋いこがれてる、なのに、今度はいつ逢えるかわからないんだもの・・・(;_;)

 

 

 

’00,4、17

 行ってきました!浜省のコンサート"THE MONOCHROME RAINBOW"!やっと当たったチケットと遠い会場で気持ちは嬉しいと大変がぐらぐら揺れていましたが、自分で運転しなくてもよくなったことから俄然気持ちが盛り上がっちゃって。
(なんと現金な。でもメンバー4人の往復6時間の車の中もとっても楽しかった。みんな省吾の話に夢中!)

 コンサートは1100人くらいの小さなホールでここに来られたファンはほんとにラッキー♪
(能代は3年前からのツアーの中で、根室に次いで2番目に小さなホールだそうです。
その観客もまたノリノリだった。最初の出だしからみんなの拍手と声が轟音となっていつもは率先してるはずの私も驚いちゃうくらいだったもんね。
 わざわざこのホールに来たのは
○今年が能代の市制60周年記念であること。
○この建物の前身である能代高校を卒業したのがノースロードの社長であること。(挨拶したよ。たった一言でいっそう好感度アップ)
○ローディーの中お一人に能代工業出身者がいること。(一緒にギターを引いて、「悲しみは雪のように」を唄ったよ)
などの理由からとか。

 前日から能代入りしていて、なんだかすっかり馴染んでいるような、柔らかな明るいコンサートでした。
むろん、唄は激しくて熱かったよ!いやぁ、みんな唄った唄った・・・・
「愛の世代の前に」や「ホームバウンド」や「イルミネーション」など 懐かしいアルバムからたくさん唄ってくれて、40代には涙の出そうないいコンサートでした。 私はむろん熱気を予想しスニーカーでしたから、席では即立ち上がって半袖になり歌いまくりの拍手と腕の振りまくり、帰りはかなり声ががらがらでした。
 いつもは6時半開演だと9時前には終わるけど、なんと9時半までも唄ってくれました。
終わってホールから出たら、曲目を全部提示してありました。(予定は未定なので?はめ込み式)
デジカメなんか持ってる人は撮ってたけど、帰りを急ぐ私たちはメモしてる暇がなくて、ああ、残念。
 そういえば車を「オンザロード」のトラックの隣に置いたの。一緒に写真とりたかったな・・
 ああ、幸せ。今度はいつあえるのかな・・
                                                           

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