ムカシの行事

う〜、年と共に昔が思い出される〜〜
ということで、子供の頃の年中行事を拾ってみました。
あだだの記憶の断片に実家の母親の「ご意見」を裏打ちさせまして
ちゃんと覚えていることだけ、載せようと思います。
今はすっかり手抜きの日常ですが、婚家で催している
現在進行形の行事もちょこっと載せみましょう。
みなさんのところはいかがでしたか?
そして今はいかがでしょう。
教えて下さいね♪
(2002年書)

        

教えてね                                HOMEへ

  ☆は実家の行事 ★は婚家の 行事、についてにたいしてのコメントです。

1月1日 大正月 ま、日本全国的に今も昔もお正月ですな。しかし昔はいろんなしきたりがあった(・・気がする)ゆずり葉や、大体の飾り付け、餅つき、などは前日の年越しまでに終わって、当日は朝起きたら村の神社にお餅と蝋燭を持って御参りに行き、お雑煮を戴くことが本日のメインでしょうか。餅は豆殻で焼くのがお約束でした。

☆若水を汲む、というしきたりがあり、実家では今でも家長(だって!)であるところの弟が最初に起きて水(水道水ですが)を神明様に上げます。(三が日くらいでしょうか。)

★婚家では姑が若水を汲んでいますね。(20日まで毎日のようです。)若水汲みは家長の仕事、というデンで行くと、我が家の家長は舅も亭主もさしおいて、やはり婆様のようです。

  2日 とろろまき これがけっこうとんでもない行事で、家の敷地のけどめ(入り口。門松と門松の間)にとろろご飯用に摺ったとろろを撒くんですね!それでバリアを貼って、風邪や悪魔が入って来ないようにするんですって!もちろん実家では今もやっています。(ヨメさんは「汚くて嫌い」と思っているらしい。そりゃよそから来た人にはびっくりじゃ。)
ですから2日はとろろごはんが行事食。

★こっちじゃもちろんやりません。
  5日 出初め式

獅子舞

★村の消防団のみさなん、町の消防署に集まってご挨拶があるのじゃないかな?それから家々にポスターなんか配って来るところが今の実体。昔はお札だったのかな?

★実家にはないのね、獅子舞は。こっちにはあるのよ、今でも。同じ神社を祀っている村々の代表が何人かでその7つの集落を廻って、場合によっては(いれもうされたら)神様の前で獅子舞を舞うし、場合によっては振舞酒、まだご祝儀を戴いて、丸一日かかる行事じゃないかしら。長男が一度人数が足りないとかり出されたことがありましたね。高校生の時かな?

6日(頃) 春祈祷 神社に行って拝んで呑む、と言うのが実家の実体かな?以前は法院様が一戸ずつ廻ったみたいだけど。

★うちでは村の法院様宅に村中の人が集まってお払いを受けるのかな??厄年(数え年で、一桁の年齢が男で2,5,8 女で3,7,9に当たる人は、なるべく当人が行けばいいのだろうけど、私はいつも舅に代表して行って貰っています。(^^ゞ  今年は家を出ている長男が25の厄年だそうで、爺様、張り切って行きました。)

  7日 七草 お鏡や小餅を下げて、おしるこにして食べたっけ。そういうえば年越しに神様に供えた小さなおにぎり(みたまごはん、と言うみたい。お膳に箸を並べて、その上に12個のおにぎりを載せてお供えした)をあんこで煮ても食べました。(好きじゃなかったよぅ)

☆今は雑煮だけのようです。あんこを使うことはあんまりないそうです。

★こっちは5日に七草の行事を行います。下げたお飾りを使って、具は大正月よりもたくさん入れます。ちなみに今年はゴボウ、タマネギ、キャベツ、白菜、昆布、椎茸、人参、ネギ、油揚げ・・・ 手近な野菜は皆入れちゃう(^^ゞ  でも、仏様にも上げるので、精進仕立てです。

 11日 蔵開き(じっちょ(十庁)びらき) この行事のことはよく覚えてる。蔵ってけっこう子供心には怖い所なのよ。扉は重々しいし、物音は聞こえないし、真っ暗でしょ。で、その蔵の中にお膳と御神酒を持って行って、蝋燭を灯して拝むのが、と〜〜っても厳粛な感じだった。お膳にはいつもぶりこを持ったハタハタがいたなぁ・・
 13日 餅つき 小正月のお餅を搗く
子どもの頃は小豆を煮てざるの上にあけ牛乳瓶で潰して殻を外したこし餡と、しょうゆ味の「汁餅」と二種類の雑煮とお汁粉を食べました。餅つきは大イベントだったんです。

★こっちは14日に搗くよなぁ で、お鏡3枚、小餅と、大正月と同じように丸めます。特別雑煮も戴かず、夜仕事から帰って一人で餅つきをして一人で丸めます。時代ですね。

 15日 小正月 ★こちらはどんど焼き(賽の神)ってのもやる。お札(ふだ)を村の賽の神の側で燃やす火で焼くの。それから村の公民館で子ども達もオトナも集まって、ゲームをしたり呑んだり。
家の方では大晦日と同じ行事食を昼食に作ります。おひら、茶碗蒸し、ご飯、みそ汁なんかが神明様、野菜と油揚げの煮付けとご飯みそ汁なんかが仏様、と2種類のお膳をつくって上げます。
 16日   ★朝はお雑煮です。1月1日と同じように作ります。
 20日 正月明け ★5日の七草と同じようにお雑煮を作ります。最近はご飯粒を入れるのはちょいと敬遠・・(^^ゞ
これで正月行事は全部終わりです。
2月1日 年祝い ☆神明様のお膳をつくって神様にあげて、厄年(男2,5,8女3、7,9←数え年の一桁が左記の時)の人が神様に上げたお膳をいただきます。

★こっちは5日頃、法院様の家に一家から一人代表で祝詞をあげに行きます。それから村の婦人会のメンバーで厄年に当たっている人が幹事をして公民館で飲み会をします。(婦人会だけの行事です)
3番目の義姉の嫁ぎ先(同じ町ですが、海辺です)では厄年の人は芹を食べないんですよね、確か。

3日(4日) 節分 ☆「阿部」という名字は豆まきをしないしきたりが!だから豆は撒かずに、焼いて食べました。(固くて大変だった)

★こっちではちゃんと撒きます。「天に花咲け、地に実が実れ、」(うろ覚え)なんていいながら撒きます。「鬼は外福は内」じゃありませんね。

2月最初の午の日 初午 ☆赤飯をつくって油揚げとお膳を作ったようです。(我が家はお狐様を祀っている家でなかったので、祀ってるご近所から赤飯を戴きました)

★こっちは男のがいると大変!1月中から初午の日に舞う獅子舞の練習があります。そして初午の日は村中の子ども達が旗を持ったり獅子頭を持ったり(時に「入れ申される」とその家で練習した獅子舞を舞う)太鼓を叩きながら歩く子もいるし、木箱を抱えて初穂をいたただく係りの子もいるし、で、村中をくねって歩きます。雪の日が多いのでなかなかハードです。でも上がったお米やお金は山分けだし、夕飯は親たちが集まって公民館でカレーなんかつくっていて、大変ながらも楽しみでもあるようです。でも、うちの子ども達も大きくなってそう言う行事から離れてしまったので、今はどうでしょうか?初午にはちゃんとお獅子さまが廻ってきますけど。

  9日 おかの餅 ☆お餅を鼠にかたどって(楕円形)おいた(小正月にでも搗いた餅?)餅を焼いて、お湯にいれて黄粉をつけて食べたかな?鼠よけの意味合いがあるそうです。
 16日 田の神様 ☆田の神様に御参りする。(家から山の方に行くと、石碑があった気がする)しな餅(粳米の小米を粉にしたものを半分くらい混ぜた餅)を搗いてお供えした。(しな餅には味噌味とかシソ味とか豆入りとかいろいろ作った記憶がある。この日かどうかは定かでないけど)
○山の神と田の神は一年交代みたい。で、この日が交代日のようです。
○実家では毎月田の神講というのをやっていました。男衆が当番の各ヤヤを廻っていたようです。伊勢講ってのもあって、これは男衆で世代が上(舅)の方。念仏講は女衆の姑たちの毎月の集まりのようでした。
  神社講 ★無尽(?)で村のみんながお金を出して、くじ引きで当たった人4人が栃木県のこぼ神社に御参りに行く。帰ってきたらその4人が村の人を 招待してお札を渡す。ってのがタテマエ。でもなんでか栃木のついでに伊豆とか京都とか、四国まで行ってくるグループもあるのねぇ 私はまだ当たっていないのだけど、村のヨメさん連中もけっこう行っています。
3月15日 涅槃 ★14日にお餅を搗いて、小豆の餡をいれたくくりもち(大福)を作ります。てっぺんに食紅で赤い点を付けます。(小指に水溶きの食紅をつけて、ぽち、っとね)それを16こ(4×4)お膳に並べて菩提寺に持って行きます。
15日はお寺に呼ばれて、和尚様がお経をあげ、みんなで昨日上げた餅を分けてもらってくるようです。
○最近は餅だけじゃなくて、ハッサクとかお菓子とかがお膳にのせられて供えられているみたい。
 18日 彼岸の入り お団子を作ります。大抵黄粉のお団子で、仏様用の器にピラミッド型に盛りつけて供えます。
 21日 中日 お墓参りをします。ぼた餅をつくって供えます。
春分の日 藤あげ ☆家族や近い親戚が亡くなって3年くらいの間だ、菩提寺でお経を上げて貰います。檀家がたくさんいるのでかなりの数にのぼりますが、地域順に亡くなった方々の戒名を読み上げお経を上げてくれます。礼服でお寺の本堂は寒いので、カイロは必需品です。
 24日 彼岸の明け この日もお団子を供えます。
4月3日 お雛様 ☆旧暦で行います。今は姪に立派な雛壇がありますが、私の頃は家中の人形を段をつくって飾りました。蔵から出した人形は八幡人形、ビクターの犬、雑誌の付録、なんでもありました。
それに「ゆべし」とか菱餅とか、巻きずしとかも作りましたね。特にゆべしは赤や緑などの食紅を使ったきれいなしんこを木枠に入れて果物や花の形になったものを茹でて作ります。わくわくしたものでした。
★残念ながら娘がいないので我が家は一切ありませんが、お嬢様のいる家庭では雛祭り行事があるらしいですけど、どんなことをやられてるんでしょうね。
 15日 お祭り ☆戦後の生活改善で、各地域バラバラだった祭りは全部この日に統一さました。だからどこの親戚もみな同じ日に祭り、って感じで客の行き来もありません。最近は御神輿なんかが出てるようですが。
こっちはすごいです。統合がなかったので、神社ごと全部お祭りの日が違う。我が神社はちなみに9月8日でしたが、2、3年前からいつのまにやら9月の第2日曜日に〜
  16日 うら祭り 言葉は覚えてるんだけど、何をしたのかはさっぱり┐('〜`;)┌ 悪魔払いの意味があるそうだけども・・・
5月5日 端午の節句 なんたって学校が休み!GWの真っ最中!!だったんだけど、農家は忙しい時期なんだよね。特別は行事は覚えていないな。柏餅を作った記憶も、お風呂に菖蒲を入れた記憶も。(じゃぁ、書くな☆/(x。x) )
  ☆大般若

★おはちがつ
☆お寺の行事から、子どもの私達は着物なんか着てお寺に行く婆様を見送った記憶くらい。
★今でももちろんあるけど、檀家がいろいろ用意するお香なんかと違って、お寺さんが檀家を招待するんだっけ? うちは舅姑が現役だから、お寺に呼ばれるなんてこたぁまだないね。お手伝いなら何度も行ったけど。(お寺の新山式、和尚さんのお葬式、得度式、そんな時のオサンドンにね)
  不動様 ☆実は日時は失念。実家の敷地に不動様を祭った石碑があって、その日は赤飯を作ってご近所に配って歩きました。(持っていくとお駄賃が貰えて嬉しかった)近くの地蔵様にもお供えに行くのが役目でした。
6月1日 干し餅あげ ☆正月のお供えの餅を藁で編んで干したものを油であげて食べる。(干し餅を口で噛み砕いて手のひらにこすると虫よけになる、という伝承がある)結構かびてたり、大きな固まりは揚げると超固かったりしたけど、美味しいよ。あれがほんものの味。
  さひらき ☆田植えの始まる前に「ほのはまま」を神様に供える。この「ほのはまま」はホウの葉を十字に置いて、熱い炊き立てのご飯に黒砂糖たっぷりの黄粉を掛けて、葉っぱで包んで藁で縛る。 ホウの葉の芳しい香りがご飯に移って得も言われぬ味わい。甘いご飯なんだけど、ぼた餅は苦手でもこれは郷愁を誘うんだなぁ この行事の前に祖父か父が山に芳の葉を取りに行ってたんだろうけど、あんなでかい葉っぱ、どこから採ってくるのかいつも不思議だった。
  さなぶり ☆田植えが終わると笹巻きを作ってヨメに持たせて、実家に骨休めに帰した。私の記憶では、さなぶり休みには近所の若い夫婦や小さな子どもが集まって飲み食いした気もする。
★ヨメに来た頃、田植えが終わったらさなぶりで実家に帰れるものだとばっかり思っていたけど、いつまでもこっちでは言い出さなくて、ひとりでいじけていた思い出がある。こっちは向こうに比べると、そういうしきたりや行事はすごく薄れている。
でも言葉は慄然と残っています。ほっとするイメージがありますね。
7月23日 宵宮 ☆実家の隣りにお地蔵様がありました。ちゃんと小屋の中に奉納されていまして、いつも願掛けの旗や千羽鶴や、よだれかけや、たくさんの細工物が供えられていました。(そこでよく隠れん坊なんてしたんですけど)その夜宮の日には、そのお地蔵様には人がいて、たくさんの御参り方々を迎えていたし、ちょっと離れた神社では夜店も出て大賑わいだったような・・・
★隣りの部落に「居勢井地神社(?)」ってのがありまして、これが子宝の神社とけっこうメジャー
宵宮には近郷近在ばかりか他県からも訪れて大変賑わいます。隣り部落は居勢井地神楽もありまして、夜宮は神楽あり、婦人会の踊りあり、子ども達のお遊戯あり、テキやは出るは、酔っぱらいは出るは、蛍は乱れ飛ぶは、夏を印象づける一晩であります。
  24日 地蔵様の祭り ☆オババたちが当番の家に集まって、念仏三昧の後、手作りのお膳を戴きます。(当番家はお膳の料理を全部手作りなのです。今でも。みんな仕事持っているんだから、仕出にでもしてくれよ、って感じですがね、ま、何年に一遍くらいのことですし。)
★前日とはうってかわって、親戚縁者をお祭りに呼ぶ日でありまして、井勢居地部落のオナゴたちは大変だよね〜 (我が家のお祭りは神社が違うので、この日は関係ないね!お仕事さ!)
8月7日 墓掃除 ★タテマエは7日が掃除ですが、もうその前にお墓の掃除を終えて、当日はお墓に赤飯やお飾りを供えに行きます。お花やお線香も持って、お盆の予行演習と言ったところ。