なんとまぁ、HPも2年目に突入!なんとまぁ、このあたしが・・・
こんな末端HPを贔屓にしてくださったみなさん、ほんとにありがとう!!(T_T)

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 4/22

 姑さんのお姉さまの一周忌で姑さんが出かけている。私の休みと行事が重なるなんて
珍しいことだよなぁ。
 でも結局午前中はオヤジとお出かけじゃぁ。B00K 0FFで浜省のCD2枚買ってきたぞ。
どこの中古やでも浜省は安くないんだよな。それに出ないものは絶対に出ない。
パチンコで負けるつもりになればCDの一枚くらい安いもんだと思うけど、みんな知ってる曲だし、
改めて買う、ってのはなかなか勇気がいるよね。
 でもって、車の中から見つけた交通安全の看板。
 我が家よりもまだ田舎の交差点に4,5枚並んで立っていたが、その中の6年父の会と書かれた
看板には「あぶない、その飛び出しが 命取り」。でもって6年母の会と書かれた看板には
「母ちゃんが飲んだら お迎えよろしくね」と書いてありました。ね、いいでしょ。
 例のその2はどうしているでしょうね・・
でも大学から授業料の請求は来たよ。まだ辞めてはいないらしい。今はそれでヨシとする?

 4/18

 行ってきました!浜省のコンサート!やっと当たったチケットと遠い会場で気持ちは嬉しいと大変が
ぐらぐら揺れていましたが、自分で運転しなくてもよくなったことから俄然気持ちが盛り上がっちゃって。
(なんちゅう現金な人間じゃ。)車を提供してくださった友人の同僚は、お顔は以前から存じている方。
それも省吾ファンということでね♪もう一人の方は独身の美しいお嬢様だよ。新車のオデッセイは
大きな室内だし、往復6時間近い道のりもとっても楽しかった!
 コンサートは1100人くらいの小さなホールでここに来られたファンはほんとにラッキー♪
その観客もまたノリノリだった。最初の出だしからみんなの拍手と声が轟音となっていつもは
率先してるはずの私も驚いちゃうくらいだったもんね。
 わざわざこのホールに来たのは○今年が能代の市制60周年記念であること。
○この建物の前身である能代高校を卒業したのがノースロードの社長であること。(挨拶したよ。
たった一言でいっそう好感度アップ)○ローディーの中お一人に能代工業出身者がいること。
(一緒にギターを引いて、「悲しみは雪のように」を唄ったよ)などの理由からとか。
前日から能代入りしていて、なんだかすっかり馴染んでいるような、柔らかな明るいコンサートでした。
むろん、唄は激しくて熱かったよ!いやぁ、みんな唄った唄った・・・・
いつもは6時半開演だと9時前には終わるけど、なんと9時半までも唄ってくれました。
終わってホールから出たら、曲目を全部提示してありました。(予定は未定なので?はめ込み式)
デジカメなんか持ってる人は撮ってたけど、帰りを急ぐ私たちはメモしてる暇がなくて、ああ、残念。
 そういえば車を「オンザロード」のトラックの隣に置いたの。一緒に写真とりたかったな・・
ああ、幸せ。今度はいつあえるのかな・・

 

でもって、あだだ、浜省コンサートに行ってまいりました!!何年ぶりだろうか?
あんまり幸せで、脳内モルヒネ(エンドルフィン??)が アセトアミノフェンを必要としませんでした!
(ゆえに今、日本酒です。)能代は3年前からのツアーの中で、根室に次いで2番目に小さなホールだそうです。
でも、わざわざここを選んだには(アットホームな)理由があったとかで、省吾もとてもリラックスして
楽しいコンサートになりました。いつになくとっても明るかったですよ! なんと6時半から9時半まで
いつもより30分以上も多い、3時間ものコンサートでした。それも「愛の世代の前に」や「ホームバウンド」や
「イルミネーション」など 懐かしいアルバムからたくさん唄ってくれて、40代には涙の出そうないいコンサートでした。 あだだはむろん熱気を予想しスニーカーでしたから、席では即立ち上がって半袖になり歌いまくりの拍手と
腕の振りまくり、帰りはかなり声ががらがらでした。 運良くmichiko5の同僚の方に便乗させて戴いたので、
往復6時間近くの道のりも楽しい浜省談義であっちゅう間でした。 ああ、幸せだった・・・ 
だって省吾自身もとって楽しそうでノッテいましたもの!・・で、今度はいつ逢えるのかしらね、と、
こんなに好きなのにどうしてこう 遠いのかしらね、一抹の寂しさも抱えながら、明日から日常です・・・
ぶるうさん、やっぱ省吾のステージは最高だよ! ママピさんもチャンスがあったら無理してもものにしてね!michiko5、ありがとう。同僚の方によろしく伝えてね!

あだだ@浜省を追いかけて、追いかけて能代〜〜です。
いやぁ、いかった・・・・ 4,5年ぶりかも、生省吾・・
最初のコンサートは18年前だったよ。
あだだも20代だった。好きで好きで好きで好きで・・
なんかね、歌声がいきなりドンと胸に入って来る人だったの。
生きている、ってことを直接思い出させてくれるような人。
けっこう重いし暗いし、聴いてて海に飛び込みたくなったり
側を歩いてる人、誰でもいいから縋りつきたくなるような、
切なくさせてくれる人。
でも、ゆうべの彼は明るくて楽しそうで、
一緒に唄っても踊っても拍手しても
明日が見える感じが、お互いに大人になった感じ。
3時間にも及ぶステージ、とっても幸せでしたよん。

上記は掲示板とMLへの投稿の抜粋です。

 4/16

 昨日の午後、姑さんのお供で叔母さんのお見舞いにでかけたら、病院の入り口に「報道関係の方の
病院内での取材をお断りします」という張り紙が貼ってあった。外には背広姿のやけに上品そうな
報道陣が何人か見える。
ほよ、なにかいな、お偉いさんでも入院したかな、と思ったのよ。
 夜、テレビを見ていたらローカルのニュース速報が流れて、あの病院の40代の女性患者が
脳死になってドナーカードを持っていた、というものだった。
 昨日の段階では心臓と肺と肝臓を移植する、という発表があったが、結局は肝臓だけ、
京都の患者さんに移植するらしい。
 でもでも、もしかしたらその脳死の女性はよく知っている同級生じゃない、とも限らない。
こんな身近な人がドナーカードを持っていて、家族も移植に同意したんだね、と思ったら、
やっぱりあらためて自分のこととして考えてみなくちゃいけないのかな?
うちの子供達は2人とも持っていたようだった。でも親としちゃぁ、絶対に脳死の状態になんて
なってもらいたくないわけで、見たときはちょっとドキッとした。
 アニキだって、どうしても移植したくてしたくて、ついに生体間移植までやっちゃったのだから、
病気で移植しか道のない人のことを考えたら私なんて真っ先にドナーカードを持つべきなんだろうけどね。
ちょっと怖い気もするんだよ。人様の役に立ちたくないわけじゃないけど。

 4/11

 ゆうべは9時に寝てしまった。それでも朝6時まで眠れちゃうこの体質!!('_`)/
で、今日はまたしてもM0に挑戦。
あれ?はいっちまったよ、受信トレイの中身。何を今まで悩んでいたんだ???
なんのことたぁない、一気に中身が1000通以上もあるフォルダをコピーしようとするものだから
認識するまでにえらく時間がかかっただけなんじゃぁ。なんでこんなにひっかっかていたんだろうね。
ま、やや嬉しい。
 昨日は会社が34度もあって、それで「作業着の袖をまくってはいけません。」とのお偉方からの
ご達しがあり、半袖に着替えました。そしたら今日は雪なのよ・・・(T_T)
 秋田北空港は不通便が出たというし、高速道路の秋田道も通行止め。
ああ、地球はマジ壊れつつあるなぁ・・
私らは農民。これからは日々の気温や太陽光線の量、降雨量にも一喜一憂する日々が
始まるのに、こんなに極端だとほんとに今年の作柄は不安だよね。
(大分前だけど栗本薫「12月」これは面白かったぞ!夢様、伊集院様、かおるくん、グインサーガまで
総出演!12種類もの小説が読めるんだよ!さっすが!の栗本様、でした。)

 4/10

 昨日は種蒔きであった。今年は1350枚とのこと。昨年よりは作付けが弱冠少ないのかな?
年中行事となっているので、女子高生2人(姪)と若者2人(社会人の甥と迷いの渦中の大学生、
その2)義姉夫婦と義妹、あと私ら夫婦、総勢9人!!
ま、5人もいれば楽勝なのだが、来ていただく分際が何を言いましょう。
昨年から見れば気温も低めで、休憩時間に道路に転がる女子高生は相変わらずだが、
お昼は婆様が気合いを入れてカレーとおでんを作っていたし、
概ね和気あいあいと作業は進み、若者達には速攻でバイト代を払う。
そして、夜に朝電車で手伝いにやってきた息子をアパートに送って、なかなか肝心な話しも
できないで帰ってきたのですが、今日はどうしてますべか。

 4/7

 今ひとつまんない。その2のことが引っかかってるなぁ。アパートには戻っても大学はどうだろうか・・
そりゃ、せっかく入った大学だからなんとか卒業までこぎつけて欲しかった。これからは自分で生きて
行くんだから、いろんな可能性を考えてせっかくの機会を全うして欲しかった。
 でもこれも親の考えなんだよね。実際に動いているのは本人なのだからなにより本人の意志だろう。
さしあたって丈夫なカラダがあればなんとかなるだろうし、イヤのことを無理強いされて他のことも
みんなイヤになっちゃってもしょうがない、とも思う。
 挫折なんて大学出たって高校を途中で辞めたって同じようにあるもんだろう。
ヤツが本気で思っているんなら、認めるしかないんだろうな・・・
ほんとはヤツの意志を汲んで、きっちりカタチをつけてほっと気楽に暮らしたいよ、
なんて気持ちが動いている。
 親の意志に気を使って自分の心と板挟みになっちゃうのはどうにもかわいそうだもんね。
・・・甘いとも思うけど、若さを信じたい気もする。

 4/1

 もう疲れた〜〜〜('_`) まったく胃が変になっちまうよ・・・
29日かな?その1が帰ってきたのは。それも駅を乗り越してしまって、隣町まで迎えにいって
夜の7時過ぎにようやく家について、ご飯を食べ風呂に入ると
「ちょっと仙台まで行ってくるから車貸して。」と。
 へ?今仙台から帰って来たところだろ?あんたペーパーだろ?道路も分かんないだろ?
外はこんな暴風雨だろ?真っ暗で標識も見えないだろ?たった一人だろ????
でも行きました。往復8時間もかかる道のりを。まったく寝た気もせんよ、待ってる身は。
 朝、私の出勤に間に合うワケもなく(当然じゃ、2回も迷子になっていた)
その日の朝刊に載っていた鍼灸師、指圧師の国家試験の発表を見て義姉から電話を
貰うけど、肝心の息子は生死も不明じゃぁ〜〜〜〜〜
会社から電話を掛けて帰ってきた息子の声を聞いて、その日はまぁ、やっと一安心。
 ということで30日は寝たきり(?)のその1だったが、亭主も留守だし
夜に二人で酒盛りをした。
その2のことを話すと「真面目過ぎるんじゃないの?」とのご発言。
たとえばご飯も律儀に作る必要なんてないとさ。コンビニもあるし、お総菜もある。
大学と漫画のこともテキトーに二股かけりゃいいんだよ、とかさ。
(後でその2にその胸を伝えると「僕は真面目なんじゃなくて頑固なんだ」とお答え)

 さて問題の昨日。1日から札幌で仕事だ、って言うんで、亭主が隣県の空港まで送る手はずに
なっていた。仕事から帰るとまだ車がない。作業小屋を覗くと昨日からの椎茸が選別もせずに
山盛り。椎茸のハウスに行くと夕方の分がまだ採られていない。家にも上がらず慌てて椎茸を
採るのだがどんどん陽が落ちてきて見えなくなる。しょうがないから懐中電灯を照らしながらの
作業になったのだがそれにしても亭主はどこに行った????
子供を空港に送るだけなら、とっくに家に帰れる時間だ。
 暗闇での不完璧な作業を一応終えて家に入るとオババ様が「今電話が来た」とかいうので
子供の携帯に電話。ヤツは結局飛行機に乗れず仙台にいるそうな。(有珠山噴火の影響??)
明日は仕事には行けない。その旨は仕事先に伝えたから田丈夫。でも、
「オヤジがまだ戻らないのは変だな・・」  わーーーーー、また不安増大!
 夕飯食べてとても落ち着かないし、椎茸も山なので作業小屋で選別、パック包装を
一人でやっていると8時過ぎにようやっと車の音だ・・・なんとか生きていたようだ。

 くそ!パチンコだと!この自営業がぁ(プンプン)入っちゃって電話も掛けられない????

 その2は相変わらずのらりくらりと頑固ぶりを発揮。今日から新年度だけどどう動くのかは
まだまだ未知の不明のわからんちん!
 あ〜あ、どうなるのかな?
こんなにごり押しするのがほんとにいいことなのかなぁ・・