2007、ホームページも9年目になりました 。
これが日常、されど日常、普通のオバサンの日々の道行き、
けっこうドタバタ?♪ 

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 11月30日(金)

 あれよあれよという間に、明日から12月!? なんとしたことでしょうねぇ〜〜
 本日は仕事の谷間の一日休みで、お天気もよかったので、そろそろ婆様から冬越しの野菜の始末の話が出るべな〜 と思っていたら
朝、「葱と人参、掘ってくれ」と言われました。やっぱり、と思いつつも、言われてほっ。自分でやる!と頑張られても、落ちた筋力が気になり
ますからね。
 ってことで、前々から頼んでいた亭主と、葱、人参、白菜、キャベツ、牛蒡、大根などを採り入れまして、道ばたの畑ですので、通りすがりの
ご近所の方たちから、「ダンナさんも手伝ってくれていいわね〜」とか「手伝おうと思ったけど、邪魔か?」とか言われながら
「はい、仲良くやっていますんで、お構いなく〜〜」と、愛嬌を振りまく、と。
 婆様が「これはそこにおいてくれ、皮剥いて袋に入れるから」「それはこっち、あれはあっち」と指示し、なんとかお昼までに終わりました。
お昼を食べてしばしまったり。亭主は午後から仕事です。
 ところが亭主がでかけてしまったとたん「寒いから家に入る。葱の皮を剥いて新聞紙に包んで袋にいれておいてくれ。」と。
いや、実際病み上がりだから、いくら家での仕事でもそれは大変でしょうし、自分ではできるつもりだったのに、やって見たらば無理だった、
というような理屈はよく分かるんだけど、そうならそう最初に言ってくれれば時間の配分が違うわけです。
 夕飯の支度をしながら葱の始末をし、また流しに戻ると、料理半分しかできてないのにもう爺さんは夕飯を食べ始めるのですから。
 もう、全然婆様爺様の人あしらいには適いません(;^_^A 昔、若衆(わがぜ)や女衆(めらし)を使っていた方々には、逆らうすべもなく〜〜

 そして明日からは配置転換の引き継ぎが目白押しです。パートの半分くらいが移動か、というような大規模な入れ替えですので、
教えられたり教えたり、この時間もまた微妙であります。果たして今回のことが会社にとってメリットがあるのかどうか分かりませんが、
こういうことをやってみたかった上長がいて、実際にやっちゃったのですから、私ら契約にはなにをかいわんや。

 あぁ、疲れた。今日はもう寝よ。

   


 11月28日(水)

 今日は久々に亭主と休みが合いました。婆様のお見舞い返し、その2でありまして、今回は親戚一同(私の実家も含)でありますね。
結局あっちに上がり、こっちに寄りと一日仕事になりましたが、亭主とのドライブも一ヶ月ぶりくらい、それはそれで有意義でありました。

 むふふ、だけど昨日はとっても自由な一日だったのですよん♪
 仲良しのジジババに思いっきり口げんかを思いっきりさせんが為(ほんとか?)、亭主了承済みの仕事の振り日です。
だからいつものよう5時に起きて6時45分に家を出て〜〜 
 鳥海山のすそ野の公園でしばし読書と喫煙、それから酒田に向かいました。ま、こんな時は三川イオンしかないワケで、11時開始、
モーニング枠でイオンカード提示1000円の「オールウェーズ 続・三丁目の夕陽」のチケットを買い、時間まで不足分の快気祝いを
買い足そうとお店を探していたら、旅行代理店を発見。そこで思い立って12月の東京行きの切符を買うことに!!!
 26日にやっと12月の勤務表が来まして、やっぱり配置転換のために微妙に休みが変わっています。勤務日最後の夜行の切符を
頼んだところが、売り切れてありませんでした(ーー;) ええい!ままよ、前日休んでしまえ!!
(ってわけで、21日の朝に上野に着きます。今回はmichiko5と一緒でこれもまた多いに心強いのでありますが、腑に落ちた方が
いらっしゃいましたら、神奈川県民ホールで中年はりせんぼんコンビを捜して、お声を掛けて下さいね♪)
 その後、快気祝いもちゃんと買えましたし、映画もたっぷり3時間強、ストーリーは想像通りでも、やっぱり泣き泣き映画を見、
そして、それからちょっと覚悟して、今度は酒田市民会館、希望ホールへと向かいました。

 だはは(;^_^A 結局はチケットが取れなかったけれど省吾の2年に渡るツアーの最終日、せめて匂いだけでも嗅いでやろう、それだけで
今日の日をずっと前から予定していたのです。
 結果はびっくり仰天。入り待ちの人は朝の8時頃からたむろっていらっしゃり、千葉、仙台、あちこちの遠方の方が、チケットがないまま、
たっくさんこの田舎町にいらしていた、ということ。(ま、その方々は大抵、会場が無理ならオフ会を・・のノリらしい会話でしたけれど。)
 そしてそして、雪こそなかったけれど、寒い寒い希望ホールの関係者入り口の真向かいの駐車場の屋上で、入り待ちすること一時間強、
今まで一番長い入り待ちでの省吾の挨拶に遭遇することができました。
 ま、充分と言うしかないでしょね。「寒い中ありがとう」って、入り待ちにあるまじき声まで掛けてもらったし。
 駐車場に戻ると、息子と同じ年の会社の同僚が仲間達4人といるのを見つけました。私同様、行くだけ行ってみる、の組でしたが
そういう方々があちこちで会「チケットを譲ってください」と書いた紙を持って佇んでいるのです。その想いの熱さは、こんな自分ですから
つくづく分かってしまうじゃないですか。(ああ、れすり〜のコンサート、一度でもいいから参加したかったε=(/。\;))

 結局コンサートに参加できなかったのに、入り待ちレポを省吾のライブのページに立ち上げようと思っています。
れすり〜には逢えないけれど、省吾を見ることができ、声も聞けた。
そしてこんなハチャメチャな日記を書いている私の横で亭主が居眠りしている。
 これって、贅沢過ぎるかも。
 大好きなこと、大事なモノ、私、放さないからね。 離さなくてもいいように、ここを頑張るんだ♪


 11月25日(日)

 あの吹雪の日々はなんだったんだ!というような穏やかな温かい日です。(曇天なので小春日和とは言わない程度。←突然ですが
インディアサマーって小春日和とは違うニュアンスなのかなぁ。ずっと同じだと思っていたけど。)

 本日は臨時休業日です。(えっと5日の代休かな?)新婚のごとき(?!)ジジババは引っ越した部屋が流しの隣なので、私の動きも
よく聞こえるでしょう?なかなか仕事に行かないので、起きるチャンスを見つけられなかったか、けっこうゆっくりでした。
 しっかし、休みとなると話は違うとばかり、結局は快気祝いの段取りをすることに(;^_^A
 私もいずれはしなくちゃならないけれど、今日はまったり・・なんて甘かったのでした。祝い品を買いに行き、それに付ける挨拶状を
書くの書かないのと揉めるジジババに振回され、下書きし、印刷し〜〜 そして、とりあえず村のみなさんへのご挨拶、誰がするって、
結局私しかいないので、一時間かけて2,30件を歩いて回りました。
 日曜なので、義姉たちも次々に訪れます。義妹が朝来た時は、ちょうどその挨拶状のことで、ジジババがスッタモンダしていた時だったので、
もう手招きして「見てくれ!!」と(^m^) ほんとに仲良しな旧婚さんたちです。(義妹は私と同じ年で未亡人だって言うのにさ。)

 うん、でもとにかくホッとしました。
休みの夕飯は手作りしますが、もう婆様がいるので、爺様への給仕はおまかせ。私は亭主が帰るまで、部屋で日記書きなんぞをしています。
爺様、婆様の入院中は何を作ってもほとんど食べずにお酒飲んでふて腐れていただけだったんですからね。

 病み上がりの婆様は春までは畑にも出ないことでしょうから、冬越し野菜の取り入れとかの宿題はまだまだたくさんあるのですが、
気持ちはずいぶん自由になりました。
 来月は少し遠出でもしようかなと、勝手に目論んでいるヨメです〜〜(*^.^*)v


 11月23日(金)

 あれこれお金の支払いとかも考えていたら、今日は勤労感謝の日だったのですねぇ〜 婆様を迎えに行った病院も外来の表のドアは
開きませんでした。退院は旗日とは全然関係ないんですね。
 雪もほどほどで、病院に着くとじきに回診が始まり、あっという間に抜糸が終わって、あと退院してもいいですよ、と。
昼食もよっぽど急いで食べたのか、着替え終わって12時半には病院を後にしました。でもまっすぐ帰ると思いきや、爺様のコートや
中綿入りのベストを選びに洋服屋さんに寄ったんですよ(*^.^*) 病院の側のディスカウント店ですけれど、「おみやげ」ですって。
 もちろん、家に帰ったとたん、また大声で言い合いですけれど、これが「寒いからいい加減、部屋で黙ってろ」だの「ずっと病院で動けずに
いたんだから少しは好きに歩かせて」だの、犬が後ろ向いちゃうような会話ですからね。爺様もつくづく気が治まったのか、爺、婆、ふたりから
ねぎらいの言葉を掛けられ、アタフタしているヨメであります。(いえ、そればかりか、ポチ袋に入ったお礼の幸←これにシルシと仮名が
振ってありましたな。ーまで頂きまして、恐縮至極であります。でも、ちゃんとお礼が言えないヨメ、まだまだ修行が足りない〜〜)
 
 それにしても今回の入院騒ぎ、発病の日とお泊まりした次の日、手術の日とお泊まりした次の日、退院の今日、全部私の定休日だったの
です。勤めていらっしゃらない方には想像も付かないでしょうけれど、これってとんでもないほどの幸運です。ありがたかったなぁ
 次の通院日は12月6日。今のところは仕事日ですけれど(来月になってシフトが変わるかもしれないから)それくらいはなんとか休みましょ。


 11月22日(木)

 吹雪です。風が強いので寒い寒い寒い〜〜〜
 昨日婆様から言われた、ジャガイモの始末(えっと、もう芽が出てるのね。それを欠いて、大きさで種用と食料に分別して、それぞれを
紙の袋に入れて冷暗所であるところの作業小屋の蔵と、家の隅っこに運ぶ、と。)を、休みだった亭主とすっごい着ぶくれの状態で
しました。ほんとに寒いんだもの。全然シャレにならないのよ。まだ11月なのに、2月の真冬の吹雪もかくありなん、という状況。

 今日も義妹が仕事前に、ジジババに温かいものを・・とパッドシーツなどを届けてくれました。彼女、私の高校時代のクラスメートだけど
昨年、ご主人を交通事故で亡くしているので、親とは言え、こんな長い夫婦関係の苦笑の日々を別の意味でとらえたりもしているのだろうと
思ったりもします。そういうことは決して互いに語らないのですけどね。まだまだ生々しくて、思い出にもできないでしょうから。

 午後からは二階の私達の部屋のこたつに潜り込んでうとうとしていたら、ワハハ、三時半過ぎていました。
休みなのに病院に行かなかったのは今日が始めてですが、婆様の病室の窓から外の景色を見て納得してることと思います。

 さて11月もここに来て、来月からまた仕事場の移動が決まりました。係が変わるので上長も替わります。たぶん、休みの予定も変わって
しまうのでしょう。
 変わるのは私だけではなく、仕事の一部が下請け会社に移行するためあれこれ入れ替えがあったからですが、来月からの仕事は
まったく始めてなので、けっこう不安もあります。でも好奇心もあるんですよ。今までやって来た方の気持ちが分かるじゃないですか。

 さ、明日の婆様の退院、雪と風が止んでくれるといいな。私達の部屋にはこたつしかないけれど、爺様は婆様の為に、新しいストーブを
つけて、ぬくぬくと待ちかまえていますから、家に帰ったら寒さの心配はないと思いますけれどね♪


 11月21日(水)

 ふっふっふ、今日から定休日ですぜ♪ 当然のように病院に行って来ましたが、なんとまぁ11月の中旬だというのに、暴風雪なのですワ。
本当に温暖化なのかい?それとも温暖化のせいで異常気象オンパレードなのか、などと思いながら、吹雪の中、本日は亭主と義妹と
三人一緒のお見舞いです。
 (*^.^*)ついに婆様、明後日退院です(*^^)/ 爺様が待って待って待ちこがれてる家にとうとう帰れるのです==
実はもう帰ってもいいとは言われているのですが、家が寒いから・・と渋っているのは婆様当人で、抜糸もまだで、体力も落ちている状況で
爺様と向かい合うのはちと重すぎる、というところでしょうか。今日も病院で「爺さんが待ってるよ〜〜〜」と、笑いながら嗾けてあげました(^m^)

 それにしても婆様が言うには「ほれ、向かいの人はこ〜〜んなに大っきな胆石で、穴から出てこなくて、腹、切ったんだと。したがら、その
胆石の入れ物も一回り大きくて、何かの液体の中に入れてあった。」そうです。
 へぇ、あの80年もの(?)の婆様の胆石もまだまだひよっこだったか。
 病室のみなさん、他はみな90代だそうです。さすがは高齢化秋田県、ど根性人生ですよねぇ〜〜


 11月17日(土)

 昨日、婆様の手術が無事終わり、夕べは一応長男の嫁さん(つまりアタシだ!)がお泊まりして、午前に帰ってきました。
結果は予定以上にスムーズに行って、お医者様に感謝です。

 まず昨日の朝8時半に外科の先生からCTの画像やら消化器系の模型を見せていただきながら家族3人で説明を受けました。
予定としては、12時半に手術室に移動して1時から麻酔、手術、4つの穴を空け、カメラで胆石と胆嚢を摘出できればおそよ2時間半で
終えるとうことでしたが、胆嚢の炎症がひどくて小腸や大腸に癒着している場合はカメラでは無理なので、みぞおち辺りを切開し、
手で癒着を剥がしながら行うことになるので、それは覚悟しておいて下さい、とのこと。

 たまたま空き具合のせいで、外科は一人部屋です。(ただし差額の請求がない替わりに備え付けの冷蔵庫やトイレは使えない(;^_^A )
説明のあと、爺様はもう帰るというので私が一旦家に送って病院に戻ると、義姉、義妹たち4人が来ていまして、法事以来の5人兄弟揃い
踏みです。前日に婆様がもらった手術の詳しい手順を書いた(ほぼ手書きと思われる図解ページもあり)分厚い用紙を見ながら、まったく
元気で前向きの婆様(看護婦さんが訪れて「緊張してますか?」と聞かれても「緊張してません」と答える。生まれて初めての手術なのに。)
と、あれこれとかしましいことです。

 12時半に病室を出て、手術室のある3階の家族控え室で入れ替わり立ち替わり待つも、他の家族もたくさんいらっしゃるので、
たまたま私一人だけが待ち受けていた午後3時15分頃に看護婦さんが「終わりました、先生の説明があります」と迎えに来られました。
説明用紙では終わる予定は4時半、先生の話では場合によっては5時半くらいになる、ということだったので、あまりの速さに亭主も留守。
 先生は早速摘出した胆嚢と胆石を見せて下さいました。癒着もほとんど無くカメラだけで取れたそうですが、なんだかんだ、その胆石の
大きさです(^m^) (私)「大きいですね!」(先生)「はい、大きいです。」とおっしゃいまして、回復室兼用の病室に送って下さいました
看護婦さんにも(私)「大きいですね、普通、これくらいあるものですか?」(看護婦)「いえ、私もこれくらいの大きさは初めてです」と。

 先生がケースに入れて胆石を下さいました。麻酔が覚めかけた婆様にそれを見せながら、義姉たちや亭主も三々五々帰宅しました。
婆様の麻酔も徐々に取れて、心配した意識の混濁も痛みもまったくなく、それぞれに「気をつけて帰れ」と言いながら、静かになった病室で
婆様、実によく眠ります。おかげで私も付き添いなんて建前で、看護婦さんが来ても手伝うこともなく、ずっと眠ったまま朝を迎えました。

 今朝は、なんたって前向きの婆様ですからその状況で「ベッドから起きる」と言います。手伝って起こしますと、「背中が重い」と言うのですね。
7時頃に麻酔医師さんが来て「吐き気はないですか?痺れはないですか?」と優しく丁寧に聞かれます。婆様は否定し、私も麻酔が切れた
はずなのに・・と「どうして痛くないのでしょう」と聞きますと、「背中の脊髄に鎮痛剤を○分に○ml入れています。だから麻酔が切れても
痛み止めが効いていますから。」 つまり、これが背中の重さでありました。
 尿道の管も外れ、酸素も取れて、もう自力でトイレまで歩けるし、お昼にはお粥が食べられるそうです。これが婆様の運ですね!
前向きは病状や麻酔の取れ具合までもうまくやってくれたようです。
 
 そうこうしてるうちに朝7時半頃から義姉たちがどんどんやってきまして、みなコンビニおにぎりやら手製の漬け物やらを持参で、
いつもの眼科医に目薬を貰いに行っただけで、午前11時前に私は病院を出ました。
爺様へのおみやげはそのたくさんのコンビニおにぎりです_(^^;)ゞ
 爺様は、持ち帰った胆石をためつがめつ眺めながら、どこぞへ電話しておりましたな。「婆さんが手術して云々、云々・・」 

 私はまた明日から仕事なので、たまった洗濯と白菜やキャベツを畑に採りに行ってあとは何もしない!と思っていたところに亭主から
メールが来て、思いがけずあの「夜回り先生」水谷修氏の講演会に行ってしまいました。(会場が車で10分程度のところだったので)
 本当は今日が恒例の「オリジナル歌唱会」の発表会でもあったのですが、こっちは行けずにごめんなさい。
正味2時間の講演時間以外ほとんどロス時間がないので、慌てて家に帰って残った家事をテキトーにやっつけて、やっと日記です。
 婆様の状況もだんだん時間と共に忘れてしまうことでしょうから、覚えてる今、ここに書き残しておかないと。

 そうしたら夕方2番目の義姉から電話があって、病室がまた4人部屋に変わったとのこと。麻酔や鎮痛剤のせいで胃腸が動きにくくなって
いたため、お昼に食べたお粥をもどした、とも言っていました。今日はその義姉が泊まってくれるようです。

 〜〜〜〜実家の母親も何度も入院しているけど、私は看病どころか見舞いに行ったこともなかったです。
今回のことは、私自身にもすっごく勉強になりました。母親のことも、別の位置から見られるような気がしています。

    
病院と病室からみた朝の風景、そして、大体実物大の婆様の胆石です〜〜〜 


 11月15日(木)

 今回は4勤。さすがにヘトヘトで、食欲までなくなっちゃった感じです。でも明日が婆様の手術日で8時半にお医者さんから説明がある
そうなので、早めに家を出なくてはならないのですが。
 そしてどうも20日に退院っていうのは、ただの噂のようです。亭主や義姉たちの憶測とか希望とかがそうなったみたいで、結局は
いつ退院できるのかは明日の手術次第のようだし、少なくとも3日じゃ無理みたいですね。「20日に退院、るんるん♪」と喜んでいた私は
いったいなんだったのでしょ。┐( -"-)┌

 爺様は畳屋さんに来て貰って新しい特注の畳を敷きました。い草の匂いが気持ちいいですね。
爺ちゃんの行動力を見習いたくもあり、どうせ私にはできるはずない気もあり〜〜 

 それにしても疲れました。たかが仕事、されど仕事、仕事あってのモノダネとは言え、今時の仕事はどれもこれも気楽なものなんて
ありませんから(*´ο`*)=3 今日は少し、弱音を吐かせてください。


 11月10日(土)

 ひょい。ちょいと日記でも書こうと思ったら二番目の義姉が爺様を心配して来てくれて、気つけば爺様が話しかけるのを無視して、
二人で2時間も世間話してしまっていました(;^_^A 
 昨日から休みで、昨日は爺様を連れて病院に行こうとしたら「午後から行く」と言うことでした。なんと午前中は床屋さんに行ってたんです。
過日調整までして返してしまった補聴器の替わりに、今は携帯みたいな形の音声拡大期とでも言うのがあるんですね。病院に苦途中で
それを買って、今回は亭主も一緒に3人連れで病院に行きました。
 爺様の七転八倒ぶりから見れば、婆様は至って元気。14日に外科に移動して16日に手術、20日に退院するめどが経ちました。
ちょうど一ヶ月めの退院になります。入れ替わり立ち替わりの病室の人たちとも情報交換したり、見舞いの娘や近所の方たちを
あしらいながら、まったく気持ちが鬱ぐ様子もなくまったく前向きです。隣の奥さんが見舞いに来て、我が家の畑の小菊が見事だったと
言われたから、それを少し持ってきてくれないか、ということで、今日はそれを切り花にして持っていきました。

 今日は病院祭ということで、一階の待合室の特設ステージではバンドとか太鼓とか踊りなんかが行われ、人工呼吸の演習、救急車の
見学、それから玄関先ではJA関係のおばさま方が手作りのお菓子や漬け物、お花やキノコや野菜などをた〜〜くさん売っていました。
 婆様を連れて一階を巡ると、売店が2割引だったので、爺様にお弁当を買って持たせてくれました。

 爺様は爺様で、これから冬に向かって今の寝室は寒いと部屋の引っ越しを決めて、自分の書斎の飾り物をみんな片づけていました。
ややこしいものがたくさんあったんですよね。大きな木の根っこにニスを塗ったものだとか、昔の臼だとか、大八車の車輪とか、自分が
憲兵隊の時に履いた革の長靴だとか、過去の思い出の品がいろいろとあって八畳間が六畳くらいのスペースだったので、それらを全部
無くしカーペットも外し、机とストーブくらいしかない和室の八畳になっています。
 今は部屋の模様替えのことに夢中だし、婆様の退院の日取りも決まったし、精神的にはかなり安定したように見えます。

 たいした老人達でありましょう?大正後半、昭和一桁の人たちは本当に強いですよ。どっちかと言うと、私の方が振回され気味ですが、
どっこい、短い時間でもすぐに車に潜って大好きな本を読んでいるので、それはそれなりです。
 だけど、退院以降の段取りを立てられるのは嬉しい_(^^;)ゞ 27日は、チケットはないけれど、省吾のコンサートの会場まで冷やかしに
行ってみようかな、と企んでいます。せっかく近くに来るんですものね!


 11月5日(月)

 一昨日側で昼寝して、今後は毎日朝七時半にラブコールをすることを決めたようで、爺様の状況もだいぶ安定してきました(*´ο`*)=3
今日も誘ったら「午後から行く」ということで、車の中では午前中に行った診療所でオンナ先生に「ね、女の人がどんなに大事か分かった
でしょ」と言われてきた、と比較的ご機嫌。だんだん状況の把握もできるようになったのかな?
 でも明日から仕事なのでまた3日間を悶々と過ごして思い詰められたら困るけれど、そのあたりはどうでしょうか。

 実は私がこうやってジジババのことばっかりで、あげく亭主に八つ当たり(?)するので、少し萎みぎみの亭主でありますな。
爺様をかまっていたら、亭主がいじけていた、とかならないように、こっちもそこそこ気をつけないとね。
 ほんと、この世の中、オトコとオンナの二種類だわね、と、亭主の姉妹がみな女性でよかった・・と思う今日このごろであります〜〜


 11月4日(日)

 なんだっかなぁ〜〜 婆様はかくも気丈な人ではあるし、今は痛みもないので、頻繁に訪れず娘たちや親戚や村の人たちに対応しながら
それなりに過ごしているけれど、爺様がヤバイ。
 「一週間過ぎたのに、まだ戻ってこないのか、もう来なくていいって言え」とかくらいはかわいいもんで、聞いたこともないような罵詈雑言を
側にいない婆様に発せられる。ご飯も食べたくないし、畑のマメもみんな引いてしまったし、でも一緒に病院に行こうと言えば「行かない!」と
ふて腐れて拗ねていじけることおびただしい。
 義姉たちにも婆様より爺様がずっと重傷だと伝えて、家にもしばしば来て貰って居るんだけど、みなあきれ果ててる。
 こんなになっちゃうのねぇ〜 60何年も一緒に暮らした妻が入院して側にいないことが理不尽で堪らないらしい。

 2日の夜仕事から帰ったら冷蔵庫に爺様のメモが貼ってあって「今日は○○が午前中、○○が午後から来た。余った柿は▽と▽にあげた。
明日病院に行く。夜寝られないので、2時間くらい昼寝したい。」みたいなことが書いてありまして、昨日朝に「何時頃行く?」と聞くと
「8時半くらい」って言うので「昼寝は?帰ってきてからするの?」と言うと「病院で寝る」んだそうです!!!!!
 ちゃんと前日のうちに綿毛布と座布団を風呂敷に包んでいました(☆。☆)

 9時前に病室に着くと、婆様のベッドの脇にさっそく毛布を敷いて、「お前は用事を果たして11時頃迎えに来てくれ」って言われたけど
用事なんてあるわけないし、病棟のランチルームで見舞いに来るという仙台の其の@にメールを書いていたら3番目の義姉夫婦が私を
見つけて寄ってきました。「〜〜なのよねぇ〜」と笑いながら言うと、旦那様が「こりゃ邪魔しちゃ悪いなぁ(;^_^A 」と( ̄ω ̄;)

 ほんとにほんとにほんとにラブラブというか、子供というか、オトコという人種を見た気がしまして、午後にまた息子と病院に行ったのですが
29歳の息子もほぼ唖然としながら「オトコは弱いな。オレはそんなに生きない。」なんぞと何度も言っていましたな。

 帰ってきたら其のAも早かったので、珍しく兄弟揃って夕飯です。爺ちゃん、二人を使って寝室を移動させていました。やっぱり一人で
いつもの部屋では寝たくないらしく「生き霊が来る」なぞと言ってるのでね。こちらの部屋も爺様専用でたばこを吸ったり机でモノを書いたり
しているのですが、縁側で明るい部屋ですから。

 言っていることに筋が通っていないとか認知症っぽいとかではないでのですが、とにかく母親から引き離された幼児のようで、
母親でない我々には太刀打ちできませんワ┐( -"-)┌  婆様、とにく早く戻ってきてくだされ〜〜〜


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