2007、ホームページも9年目になりました 。
これが日常、されど日常、普通のオバサンの日々の道行き、
けっこうドタバタ?♪ 

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 10月29日(月)

 本日もスタクタデ一日でした。
まずは朝食の後、アンケートの用紙を持って村の役員のところへ。(アンケートの内容がすごいよ。ほれ、全国ダントツの自殺率を誇る(?)
我が県なので、気分はどうか、死にたくはないか、みたいなアンケート!!)で、上がり込んでコーヒーをご馳走になって、お昼どう?って
話になったけれど、その後畑で、里芋とカラトリを掘って家に運んで、爺様の処方箋を診療所に取りに行って、ついでに私の足の静脈瘤と
ガングリオンを見てもらったら12時過ぎちゃって、一緒のお昼は断念。
 急いで家に帰ったら、まだ爺さんがお昼を食べてない。いつもは11時半頃に食べるのだけど、一人だとイヤなんだろうか、ととりあえず
食べ終わったちょうどのその時、婆様から電話がきてすぐに家を出て病院へ。
 一応2,30分は話をして、途中でレンタルやさんによってDVDを借り、家に帰ってすぐに柿の実を採って、婆様の命令通りにご近所に
持っていきました。ついでに私も10個くらい、初めての渋抜きに挑戦。柿もたくさんあるし、りんごも生産農家からいつも箱ごと頂くけれど
私はあんまり果物を食べないので、今まで柿には愛情が足りなかった。
 それから夕飯のしたくだけれど、親戚から鮭を半身いただいたので、頭や骨はみそ汁に、身はフライにしました。

     

      
 畑、診療所、病院、柿の木と、あっちこち走り回った一日だったけれど、仕事日だったらもう2時間は仕事が残ってる!夜にDVDを見る
余裕もまったくないのに、本日はDVD見て、マンガも見ました。
 ね、ほんと、ゼニのためとは言え、仕事日の我々なんてほんとに何も考える余裕もないくらいカラダを動かして機械に追われていること
今日の一日と比べて、なんとも言えない気分です。丸一日ってこんなに長いんですよね〜 舅姑のいない専業主婦さって、どんな暮らしを
されているのか、ここにきて想像がつかなくなりました。 みなそれぞれの立場立場で、自分らしさを求めながら暮らしていることは分かって
いるのですが、やっぱり今の時代は忙しすぎるかな、気持ちにゆとりがないのかな、とは思いますね。
 ま、なんだかんだとしぶとく明日も生き続けて行くのでしょうけれど>自分。


 10月28日(日)

 おぽぽ、やっと休みがやってきました。前の休みの時に電話のあった通りタマネギの苗を親戚の家に貰いに行き、畑に植えてから
病院に向かいました。病室にはすでに二番目の義姉がいて、点滴が終わって昨日から食事も取れるようになった婆様と四方山話しです。
 日曜なので検査もないし、婆様が昼食を食べ終わるまで、じっと側にて見てただけ、みたいなもんですね。
ま、今のところはしっかりしたもんです。44Kgあった体重が38Kgまで落ちたとは言っていましたが、久々の食事をおいしいおいしいと
食べていたので、もうすぐ復活することでしょう。ただ低下した筋力は年齢が年齢だけに時間が掛かるかもしれません。

 スーパーで食料を買って家についたとたん電話が鳴りました。婆様でした。今度は「からどり(ずいき)を掘ってくれ。ハウスの中に干して
種用は分けて50個ほどもヌカ(籾殻)に入れておいてくれ。」というものでした。「はい」と言うしかないですよね〜 爺様に枝豆の種を
取るように、という宿題もちゃんとありました。

 で、家では爺様が100個ほどの柿の皮を剥いていました。干し柿用ですね。手がなかなか言うことを聞かなくなっているので、ピーラーで
剥いていました。それを紐に通して縁側に下げました。
 先週爺様が抜いて干した10本ほどの大根が婆様には納得いっていなくて病室でも「大根おろしにでもしてくれ」と言っていたのですが、
それを娘から聞いた爺様自身が降ろしてしたので、まさか大根おろしにはできないし、初めて酢漬けを作りました。
果たしてどんな味になりますかねぇ〜(それも山ほどだしな・・)

 うちは風呂が薪なのでけっこう時間が掛かります。ゆえに夕飯は超手抜き_(^^;)ゞ
イヤハヤ、百姓のヨメは忙しいです。
 婆様は明日からは手術に向けての検査が待っていて、のんびり骨休めともいかないようですが、なんとか早く戻ってきて、畑と爺様という
生き甲斐を全うしてもらいたいものです。

 さ、明日はどんな一日になるのでしょうか?お天気がよければカラトリと里芋の収穫かな〜〜〜 


 10月25日(木)

 昨日も今日も仕事で、家のことは朝の2時間くらいしかしていません(ーー;) んでも爺様の張り切ること!帰ると自分のお茶碗をちゃんと
洗っているんですよ!(亭主はボールに入れっぱなしなのに┐( -"-)┌  )82歳の爺様、昔から家の中を箒で掃いたりする人だったので、
たとえ腰は曲がっても、ヨメや息子に依存するなんて弱気な様子は見せません。たいしたもんですよね〜〜
 婆様は、休み中は3日間通ったけれど、仕事となるとまったく病院どころではなく、でも議姉たちから亭主に電話が来て、私の仕事日とか
確かめていたようなので、4人のうち一人くらいは毎日顔を出しているのでは?と思っています。こんな時はほんとにこの境遇に感謝です。
 一昨日は病院から電話が掛かってきて、畑仕事の指示がありました。婆様には大切な生き甲斐があるんですものね。
私も休みの日でないとなんとも動けないけれども、次の休みはタマネギを植えてからの病院行きになるのかしら_(^^;)ゞ

 ただね、会社の同僚達はみんな同じような立場なので、「油断できないよ」って言うのです。
「入院当初は気持ちもしゃんとしていて前向きなんだけれど、手術とか麻酔とかで認知症っぽくなるんだよ。」って。
いくら気丈とは言え、80代ですからね。 そう言われると「うちの婆様に限っては!」とも言えなくなる・・・

 でも取り越し苦労はやめましょう。爺様も頑張っているし、私も次の休みには畑を仕上げてご機嫌伺いに行くので、いつもの気丈さで
待っててくれな、婆様〜〜


 10月23日(火)

 そんなこんなで、21日に法事もなんとか終わりました。朝から爺様の姉さまとか別の亡くなった姉の替わりの後添えさんなど80代の面々が
やってきて、その後は義姉夫婦たち、義妹とその20代息子(昨年事故で父親を亡くしたから、ちゃんとこういう時には家代表で出てくる。
エライ)、其の@も前日の真夜中に帰ってきたし、他の33年前に亡くなった仏様たちの縁続きや、隣近所の方達など40人くらいが集まり、
家で法要を行い、バスで会食の場所まで移動です。
 爺様が一年以上前から段取りを組んでいた通り(とは、微妙には違っても)終わって、会場から戻ってきて家で飲んでいた親戚たちも帰り、
とりあえず終わってほっ。

       
   
爺様の手作り(?)の棚。ずいぶん時間を掛けて段取りをしていたようです。(亭主が主催だったら手抜きで棚なんか作らないだろうからなぁ・・)

 次ぎの日も休みだから片づけは明日にして〜〜 なんて残った燗冷ましなんぞをキッチンドリンカーしながらコップなんぞを洗っていると
婆様が「胃が痛い(;>ω<)」と這いながら部屋から出てきました。
 私の手持ちの胃薬を飲ませても全然ダメ、でも私もお酒を飲んじゃったので、これまたへべれけの亭主に下戸の義妹に電話してもらい、
私は119番に電話して、救急病院に消防署から連絡を入れてもらいました。(婆様、そんなに痛がっていながら「ピーポなんて鳴らして
来られるのはヤダ」って言うんだもんねぇ〜〜〜 さすがに田舎でしょ?)
 義妹が来て、婆様と私が後部座席に乗って出発するも、婆様はますます痛がるし、車の中からまた119番に電話して、道路の途中で
救急車に拾ってもらうことにしました。
 はい、私も初めて救急車に乗りました〜〜〜〜
 救急車の隊員さん、いろいろ尋ねる感じが凛々しいし、にかほの救急に連絡をしてもらっていながら由利本荘の救急車に乗ることに
なったのですが、その辺りの病院との無線のやりとりもかっこよかったですぅ〜〜
 法事の後だったので、食中毒も考えられたのか、下痢や嘔吐の有無、他の人にはそんな症状はありませんか、と、そんな気配り(?)も
さすがに専門家・・ などと感心する間もなく看護婦さんが出迎える中、ストレッチャーで運ばれる婆さま。
 担当医に症状などを説明し、後から追いかけてきた義妹と救急の待合い室で待ってる間にも、婆様のうめき声が聞こえます(;>ω<)

 しばらくして呼ばれますと、別のお医者様が私服のままで「胆石ですね、このまま入院しましょう。」と。
ほぉ〜〜 胆石だったのか、それなら痛いワな。と私達は納得して顔を見合わせます。

 ま、その後いろいろ治療して病室に運んでもらったのですが、担当の看護婦さんが
「高齢の方は、状態の悪いときに一人で違う環境に置かれると、精神的にも不安定になりますので、今夜はおうちの方が泊まってください」と。
 それでんがな!一番の心配は〜〜〜
 病気は病院が治してくれますが、入院中に認知症、鬱になる老人が多いのは歴然とした事実、とっても多く聞く話してあります。
 義妹にはまた明日の朝迎えにきてもらうことにして、とりあえず着の身着のまま取り残されましたが、一晩くらいならなんとかなるもんですね。

 そして昨日は義姉たちが入れ替わり立ち替わり病室を訪れ、本日はついに爺様の配偶者のお見舞いデビューです。
当の婆様は痛みが治まったのでいたって元気で「飲んだり食べたりしないまま、黙っていると舌が上手に動かなくなるよ。治ってからも
誤嚥しやすくなると困るから、せいぜいたくさんおしゃべりしていてね。」と言う私の言葉を待つまでもなく、しゃべりまくりであります。
 普段耳の遠い爺様と話しているので、声もやたらと大きい。
 今の段階では、全然認知症とは縁がないみたいですが、これから手術とか入院が長引くとかするとちょっと心配でもあります。
 仕事日は病院には行けないので、こういう時比較的近くに義姉たちがたくさんいることが大変ありがたいです。

 明日からは4日仕事の予定。爺様も食事は一人で食べることが多くなるでしょうけれど、今のところ「慣れねばならない」という言い方で
電子レンジの使い方の練習をしたり、とりあえず前向きでしたので、必要以上に心配はしないことにします。

 どこにもあることではありますが、さっき法事の棚に備えたお菓子などを持って近所に行ったら、そこのオバサンに腕を捕まえられて
「今妹から電話があって、おばあちゃん入院したって?!」と聞かれちゃいました。(いわゆる私設放送局の方なので( ̄ω ̄;) 
病院で、他家に嫁いでいる妹さんに遭遇して『アチャー(;>ω<)』と思っちゃった亭主と私・・)
 婆様が家まで救急車を呼びたくないワケがここに転がっている、と思いながらもそこはご近所、別にウソつく必要もないので、
普通に世間話として婆様の容態を話し、向こうさんの介護の話なんぞも聞きながらお互いを励まし合ってきましたが、まったくいろいろな
タイプの方がこの世にはいることよのう、と、そのあたりでもいろいろ感慨深かったりするワケですよ_(^^;)ゞ

 ま、当面非常事態ですかね。
でも決して無理を重ねる、頑張りすぎる、というタイプではないので、ぼちぼちいかさせてもらいます。
 婆様の早い退院と(精神面も含めた)全快を、心から願うものであります。


 10月20日(土)

 明日は法事だって言うのに、冷たい雨が止みませんな。せめて明日は晴れてくれればいのだけれど。
私は仕事で家に帰れば爺様も婆様も寝ちゃってて会話もないんだけれど、今日は義姉の一人がうちに来て、お供え用の花とかお菓子とか
準備してくれたと思います。明日はつつがなく終わりますように。

 そんな場合だというのに、省吾のチケットのことが頭を離れない〜〜 この時期になっても酒田のチケットはネットに出てこない。
三重だとか福岡だとかは少しあるけれども、一枚30000円以下のものなんて皆無だし、(2枚で115000円なんてものあり!!!)
酒田なんて地方だからきっと小さなホールだろうし、収容人数が少なくなればそれだけチケットの数そのものが少ないわけだし、なんたって
2年続いたツアーの最終日、日本中の人が欲しがっているだろうからなぁε=(/。\;)
 だから夢ばかり見てしまうんだよね。酒田にはしょっちゅう行くけれど、それだから余計に悔しい。野外の大きなコンサートで、駐車場を
探してるような夢らしい夢、ワケのわかんない夢を一晩中見ていました(^ヘ ^; )
 あ〜 奇蹟が降って来ないかなぁ・・・
(すっかりれすり〜のことは忘れたような書き方ですが、でもそれはそれなんでありますよ。人ってワガママ〜 って、私だけか(;^_^A )


 10月17日(水)

 休みが始まっても、法事待ち受けムードのジジババの迫力に負け、掃除でもしたフリの今回の休みであります。県北ではぼちぼち紅葉の
噂が流れていますが、この精神状態と、亭主の秋仕事で結局は家の中と駐車中の車の中を行ったり来たり_(^^;)ゞ
 この期に及んでも文庫読みが最大のストレス解消で、今月に入ってまた読書三昧です〜
 圧巻だったのは小野不由美さんの「屍鬼」全5冊。友人が送ってくれたモノです。そして久々の京極さんの関口、榎木津、京極堂、木場の
面々が揃うシリーズ八巻目の「陰摩羅鬼の瑕」、絶対にハズレのない濃さの渡辺容子さんの「斃れし者に水を」などなど、お昼ご飯を食べたら
即、車に移動!みたいな状況で読みふけっています。
 他にやることは確かにあるんですよ。それに老眼鏡なしではもう文庫本の文字なんて見えないので、けっこう疲れる、だけど止められない。
やっぱりビョーキですね(^ヘ ^; )
 でも昔はこんなもんではなかった。広告だろうが、雑誌だろうが、目先にある活字はみんな読みたかった活字中毒ですから、最近は
いくら好きな本でも、根を詰めたら疲れる、そんなことを実感している年齢です。
 ほんと、他にやることはあるんですよねぇ〜 家のこと以外の義務もある。(ハズミで恒例のお歌の会に正式入会してしまったし、チケット
販売をせねばならぬ。)でも、余計なことは一切したくないのも、これも年でありましょうか。
 ま、とにかく21日がつつがなく過ぎることを願って、休日最終日の明日もなんとか乗り切りましょう〜


 10月11日(木)

 いんやぁ のんべんだらりんと日が過ぎて行きますなぁ。10日後に法事を控えている家のヨメとは思えない。せっせと掃除をするなり、
食器の用意をするなり、チャッチャと動けや!という感じでありますが〜
 ほんでも、私ってば本当に不肖のヨメでさ、法事当日は義姉たちが漬け物とか食べる物をたくさん持ってきてくれるそうです。
お供え用の花束とかお菓子は、やっぱり義姉さんが高槻や花瓶をお菓子屋さんや花屋さんに持っていってくれて段取りをしてくれるそうです。
 ほら!実家のヨメだと言うのに、私がするのは掃除くらいよ!それがこの体たらく〜 つくづく怠け者だ>自分。
 でも世の中、怠けているとずっと怠けたままで済むし、一番上の義姉のように、家も忙しい、外も忙しい、あ〜年中巻中忙しい!
って人もいて、いつも頑張っちゃうから周囲に頼りにされて、それに応えてしまうから益々忙しい・・ってそんなんもありそうな気が_(^^;)ゞ

 なにはともあれ、けっこうなプレッシャーではあります。
ヨメに来た頃は村の行事もたっくさんあって、家に人を呼ぶことも多かったんですよね。祭りなんかだと毎年だったし、伊勢講は十一年に
一度くらい当番に当たって、二日がかりで宴会があって、家に40人も来て歌ったり踊ったり、なんてこともあったんですよね。
(何年前だったか、圧巻だったのはその日、一斗二升の餅を六回臼でついたこと!「えずら」ですっかり腰が痛みましたε=(/。\;))
 今はそういう行事がすっかり少なくなり、法事でもお経と墓参りが終わったら、送迎バスに乗って旅館とか貸席とかに向かうので、
すっかり楽にはなりました。それでも家にたくさんのお客さんがやってくるのは、やっぱり気を遣います。
 世間の主婦の方々ってエライですよねぇ 私は何年ヨメをやってもそういうことに慣れなくて。
 もっと真面目に主婦の立場に向かい合わないといけませんね。いつまでも婆様と義姉たちばかりによっかかってもいられないべさねぇ〜〜


 10月6日(土)

 あらら、もう六日?今月はまだ日記を書いていないことに気が付かなかったデス( ̄ω ̄;)
何をしてたのかな〜〜(ーー;) って、一日、二日、三日、五日と仕事でした。朝五時に起きて、せっせと家事、おさんどんして、六時四〇分
頃に家を出て、帰ってくるのはだいたい八時半くらい。夜は何もしないで酒飲んで寝る!(だから朝が忙しい。家事なんて手抜きの最たる
ものだけど、一応どうしてもしなくちゃならないものもある。洗濯とか、お風呂掃除(←あれがほんとに掃除か?)くらいはね。)
 四日には、今月にある亭主の祖父母の三十三回忌とその前のご先祖の五十回忌の相談でジジババを連れて会場へ。
 とにかく全部爺様が段取りをして、それを婆様が軌道修正するカタチなので、私はほんとにアッシー君。ただ、先方では微妙に通訳も
必要なので、とりあえず立ち会いました。
 そのあと夫婦連れで、二番目の義姉の仕事場へ。婆様なんて、ピーマンやサツマイモの他にあのウラナリのスイカまで持ってきてました。
ちょっと恥ずかしいかも_(^^;)ゞ
 ほんとに頑張っちゃう我が家の長老たちです。亭主も私も無責任すぎるのは確かだけれど、やる気があってそこそこできちゃうなら、
法要とかお祭りとかは全部任せるに限ります。(子供たちのことだけは私達の守備範囲だろうけれど。)
 今、うちの座敷は高槻だの燭台だの花瓶だのが多数転がっていて、錦の生地や飾り棚用の板が柱に立てかけてあり、でも一番笑える
のは、灯籠が3つ解体されたまま置かれていること。爺様と婆様で、どれを使うかこれから決めるのでしょうね。
 申し訳ないけど、二人でじっくり話し合って決めて下さい。私達には全然振らなくてもいいですよん、全部一任しますからね (((((^^)」

 で、やっと修理に出していた携帯が戻ってきました。
二週間以上手元になかったと思うけれど、開いたらメールはたった7通。そのうち5通は同時にPCに送ってくれていたもの。みんな心得た
ものです。私に携帯メールやっても、いつ開くかわかんない、って充分承知の上なんでしょうね(^ヘ ^; )
 修理中だったので、当然電話は届かないけれど、どうせ誰も電話なんてくれる人はいませんから、きっとなかったことでしょう。
 それでも一応、待ち受け画面を設定しました。以前と同じれすり〜の顔です。
でも着メロを替えようとしたら、あらら、「大熱」も「追」もメモリーに入れてなかったわ!と、また直録で電話を「無心睡眠」メールを「イ農本多情」
に替えました。これを携帯で聞くのはいつのことか分からないけれど( 一一)

 さ、また明日から仕事です。頑張るしかないべな〜〜 


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