2004、ホームページも6年目になりました 。ネット人口もどんどん増えて、世間様に恥を晒す頻度も高くなってまいりました。それでも変わらずこのページは存在し続ける
ようです(;^_^A

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 10月27日

 何を思ったか、ビーズを買ってきました。老眼鏡をかけ、たどたどしい手つきで、コアラちゃんを作りましたです。

    
 頭ができたよo(´^`)o            体ができた(^.^)         ユーカリ持って完成        当然携帯ストラップ   今時、女子高生でもこんなんいない?(^。^;)

 全部で5個のストラップ。頂き物のビーズ作品を見るにつけ綺麗で自分でも作りたくなったのだけど、5個もジャラジャラと下げているあたり
完璧年齢を忘れていますな。コアラは左耳が微妙に変_(^^;)ゞ でもいかにも自分らしくて、あえて直しませんでした(;^ω^A        

   それからとっても嬉しいことが \(^^\)(/^^)/
れすり〜のページの「為イ尓」を県の「あきたの文芸」に応募したところ、奨励賞を戴きました。一応事前に通知は戴いていたのですが、新聞に載っていたよ!と、同僚と従姉からメールももらって、やっぱりほんとだったんだ〜 と、とっても感激しています。(ちなみにペンネームは阿部ゆりです。)
 県の小さな賞ではありますけど、こんな自分を改めて肯定してもらったようで、ほんとに嬉しいんです。
 
 昨年はほんとに苦しくて周囲の方には迷惑をかけました。こんな私なのに幸運ですよね、申し訳ないみたいです・・

 10月25日

 ふぅ、中越地震、日に日に被害の模様が報道される。ハンパじゃない。神戸の地震よりもっと規模が大きかったそうで、今朝も震度6の
余震があったそうだ。(こちらも一瞬だけど、どん!と揺れた)被災された方、苦しいね・・ もうお気の毒で、ニュースを見るのも辛いよ。
 同僚の娘さんが新潟県に嫁いでいて、6月に赤ちゃんを産んだばかりなのに家族で小学校に避難したとか。同僚は「寒くないだろうか」と
心配していた。当日のNHK教育の特設の尋ね人のコーナーには6万5千人も申し込みがあったとか。お身内の方の心配も一通りじゃないね。

 そんでも私は相変わらず自分のことだけの日々。昨日は早出の最終日だったので「2046」のレートショーを見に行った。
最初はれすり〜のいない王家衛監督の映画なんてo(”>_<)っ って、キムタクやトニーの記者会見に泣いてしばらく落ちたこともあって
絶対行くもんか!って思っていたのに、もしかしてれすり〜を感じられるかも知れないって思ったら、もう矢も盾もたまらなくなった。
 感想は映画のページに書いてあるけど、一日たった今日、家衛監督は、ほんとにれすり〜のことを大切に思ってくれていたんだな、
って、勝手に嬉しくなってしまってる。れすり〜を知らない人が見たら、ますますナンジャラホイ?の映画だけど、キムタクファンにも
キムタクはヤケにかっこよかったのでOKだと思いますです。

 今日は今日とて定休日だったので、またまた亭主とつるんで家を脱出。横手に向かった。
 車の中では、夕べの2046の解説。最近すっかり映画づいてる亭主だが「LOVER'S」も一人で見に行ったからね。)さすがに家衛監督の
観念的は映画は見る気にならん(おまけに私がれすり〜を感じるために見に行く!って息巻いてるから余計に)と、映画館では別の映画の
チケットを選んだ。(ちなみにいつもいくイオンシネマでは上映しないのよね。それで東宝シネマの系の映画館です。)
 それが何を思ったものか、途中からその映画を捨ててこっちに引っ越してきたので、大好きなチャンツィイーとトニーとの絡みは
た〜〜っぷり見ることができたワケですが(私は実はチャンツィイーが出ることも知らず)やっぱり感想は「ワケが分からない」
 それで「欲望の翼」「ブエノスアイレス」「花様年華」、それに「恋する惑星」も説明してあげたのよん♪(って、聞いても分かるまいが(;^ω^A )

 本日の目的は横手にある秋田県立美術館だったのだけど、おまけの私は申し訳ないけどパスして車の中で寝てました。
それでも食料の調達に寄った美術館の近くのイオンのCD屋さんでれすり〜のDVD6本を発見!!これにはとても感激でした。
うちの県にれすり〜(それも若レス4本を含む)のDVDが店に並んでいるとは夢にも思わなかった・・・

 そんなで、亭主とべったりしながら、やっぱりれすり〜だけの昨日今日。いろんな意味で頭がごった返してるので、今リハビリに(?)
「大英雄」を見ていますのことよ。 ふん、みなさんなんとでもお言いくださいな。私は私の道を行くだけですもん〜〜
(開き直ってどうすんだべね_(^^;)ゞ なんだか自分で自分の収拾がつかない気分なの・・) 


 10月23日

 地震!!o(”>_<)っ 怖い〜〜〜 夕食を終わって、ヨッコラショとPCを立ち上げたら一時間くらいの間に続けて4回も地震があった。
新潟が震源地のようで、震度6強なんて信じられない揺れが報道されている。今の時点で建物の天井が落下して亡くなった方もいらっしゃる。
停電は25万戸、新幹線は脱線、道路は陥没、家屋は倒壊人が生き埋め、車も土砂に埋まってる、って、おお〜〜い゛(/><)/

 台風23号のとんでもない被害の報道を聞いたのは、まだ3日前。堤防の決壊による床上浸水、土砂崩れ、家屋の倒壊、船の座礁、
亡くなった方は100人を越えて、家が壊れたしまった方もたくさん!観光バスの天井まで水がきて、バスの屋根に登って一晩救助を
待った人たちもいたし、道路の上の車の中で溺死なさった方もいるのよぉ

 ほんとに今年はどうなってるの?なんて書き飽きたくらいとんでもない天変地異。どうしましょう、ほんとに怖い。
 なにとはなく感じてる日本の社会のモラルの低下も怖いけど、天変地異はもうなんて言ったらいいか分からないよ。ああ、神様・・
 


 10月18日

 某サイトの管理人さんに赤ちゃんが生まれたとか(*^θ^*) おめでたい話であります。希望の光が未来に向かっていく感じ、よいよね。
某々サイトの方も妊娠されたというメールを戴いています。(今は安定期に入られたと思いますが、とにかくご無事の出産を願っています。)
 そして、我らが(?)けんこーちゃんにも2番目の女の子が誕生しました。
 今回の出産のために中国から父親と妹を呼びたいがビザ申請のための言葉をチェックして欲しいと言われて、8月に一度彼女の
家に行って来ました。
 そこでの中国での一人っ子政策のこととか、同町にけんこーちゃんとは違う形で嫁にきている中国女性たちの話なんかは、やっぱり
なかなかシビアな現実で、私などが政治をどう語ればいいか分からないけど、所帯が大きければそれを抑圧する力はより強大になり得る
しかないのかね、と思ったことであります。彼女たち、そのまま中国にいたら、今生まれた子は存在していないことになるんだよね〜

 それでも今のこの日本は、子供を育てにくいでしょう、確かに。もう子育てが終わった私たちでさえそう思うのだから、渦中のみなさんは
ご苦労しているんじゃないのかな?
 一番感じるのは子供たちに想像力がなくなってる気がすること。怖いことが身近な人間だったり、時間に追われる暮らしだったりするのは
子供的じゃないよね。私たち(私だけ?)は祖母の昔話に出てくる狼だったり、鬼婆だったり、けっこう上から見てるかもしれない宇宙人
だったりした。自分が後ろめたいことをしたら、周囲にはバレなくても、神様みたいな(このみたいな、っていうのがまた子供的想像
なんだけど)大きなものが、みんな見ていて知っていて、狼がきたり鬼婆がきたりするんだと思っていた。
 モラルなんて、特別教えられなくても、自分である程度判断するしくみになっていた。
 
 それからたくさん時間があって、違う年のことたちと神社の境内で縄跳びをしたり、ビー玉をしたりした。年が違うし、個性も違うから
リーダーになる子、揉め事を起こす子、それぞれがお互いの立場に立って、事実に遭遇して、喧嘩しながらも話をして、いろんなことを
自分たちだけでちゃんと処理できた。(そこに親なんて出てこない)
 今の子供たちは何をしても大人が出てきて、親と先生が対立したり、補償問題、裁判沙汰・・・ 子供はそんなことまったく考えてないのに
自分では収拾がつかないように物事が発展してしまうことがかなりあるような気がする。(あくまで気だけだけど)
子供にもプライドはあるし、オトナに知られたくない事だってたくさんあるさ。それにオトナが悪いということが、ほんとに悪いことじゃなくて、
単にそのオトナ個人の都合だったりしたら、子供はますますワケが分からなくって、考える時間もないまま、年だけ重なって、
想像力も社会性も処理能力もない「こどな」になってしまう。

 これから時代がどう変わるかなんて誰にも分からないんだから、子供たちにはどんな社会になっても対応できる能力を持ってもらいたい。
だからいろんなことを(かなりトンデモナイことを)想像したり、それをま否定したり、たくさんたくさんシュミレーションして欲しい、心の中で。
そういう環境って、でも今の日本は難しそう・・ じゃ、どうすればいいんだ、って、私には分からないけどね。(なんと無責任!)

 まぁ当面はありえないが、いずれ私にも孫なんぞができないとも限らない。もしかしたら弾みで一緒に暮らすことになるかも知れない。
その時は、孫に想像することを教えてあげたいな。転んで痛ければ、それは他の人でも同じだってことや、目に見えるものだけでなく
もっと大きなものでこの地球は作られているんだってこと、自分はその中ではとてもとても小さいけど、でもとても大事なもので、
それは他の人も虫も木も水も・・・ みんな同じように大事なんだってこと、想像できる子供に。

 自分ではもう決して子供は生まない(当たり前じゃ!!)ので、好き勝手にご都合主義の発言をして、お祝いの言葉と代えさせて
いただきますm(_ _)m  おめでとうございます。 (え?これはお祝いの言葉だったのか??(O.O;)(oo;)  (゜゜☆\(--メ))


 10月14日

 えっと、9日は会社の電休日(発電システムのメンテの日?)でありまして、交替勤務者にとりましては、唯一みなが休める年末年始以外
ただ一度の日でありまして、先月辞めた同僚のささやかな送別会をメンバー5人で行いました。近くの温泉で、昼酒(というより朝限定の
朝酒、おまけに朝湯だぁ〜(^-^)/)しました。ま、辞めても同じ町で専業主婦してるわけで、いつでも逢えるよね、というカラッとした
お別れ会でしたけれど・・
 でもって、10日は一番上の義姉の姑の一周忌がありまして、不肖といえど実家のヨメ、手伝いに行ってまいりました。ま、ご想像通りで
あります。田舎の我が家よりももっともっと田舎で、古い風習がたっぷりの法要でありますから、わけの分からない宇増未曾有の婆さまたち
が、うじゃうじゃと流しにとぐろ巻いている感じで(いや、煎じ詰めればそれなりの親戚なんですけど)他には義姉の娘(姪)の舅姑さんとか、
長男(甥)のヨメの実家のご両親とか〜〜その人たちも、この田舎の馬鹿丁寧な法要には、ため息ついていたかもしれません。

 そして2日だけの早出の後、早々と定休日の昨日、雄和町のダリア園に行って、たくさん写真を撮ってきました。曇り空で、色合いは
今ひとつ綺麗に出なかったかな?と思いますが、どの花も雨の雫をきらめかせ、とても可憐でした。

 あまりにもたくさんの数だったので、ちょっと張り切りすぎて、100枚近く撮っていました。とても載せ切れません_(^^;)ゞ
テレビの撮影現場も撮影しちゃいました。肖像権の都合で(?)局は申し上げませ〜ん。

   
 


 10月8日

 定休日でありましたが、叔母さん(姑の妹)の家の稲刈りがあったので、昨日の仕事前、本日と亭主の手伝い。お昼に私が家に戻ると
婆さまがなにやら文句言いたげでありますな。ご近所さまの田んぼ(ほんのちょっぴり)を我が家で田植えをしているのだけど、その
「稲扱き」が終わってない、台風もくるのに、また雨なのに、そのご近所さまも気が気ではないだろう、いつまでも終わらなくて困ったもんだ
お近所様にも申し訳が立たない〜〜〜 というようなことでした。
 ほんの30aばかりの小さな田んぼなので、稲刈りはそこの婆さまが手刈りするのですが、刈った稲を杭に掛けて乾燥させた後は、
やっぱり機械がないとどうにもならない。うちのコンバインで脱穀して、我が家で臼引き(籾殻をむく作業)をして、玄米にして渡すのですが
実は今年の不作ぶりと、またやって来そうな22号台風のことですっかり失念していました(-"-;)
  午後になって一度亭主が戻ってきたのでそのことを言うと、「あ、忘れていた、じゃ今からやろう」ってことだったので、その田んぼに
向かいました。仕事を始めてほどなく、我が家の婆さまがハナガオ(ふくべ、はんこたんな?)をして腕カバーをして、ずんずん!と、(そう、
いつもそういう勢いで歩く人なの)そのよそさまの田んぼに入ってくるではありませんか!
  およよ、80も過ぎてるのに、今日はお仲間の婆さまもいないのに、いったいなんじゃ??と思ったら、そこんちのヨメさんと一緒に
脱穀の終わった藁をまるって(束にまとめて縛る)いるじゃぁありませんか!!
 専業農家だと言うのに稲藁をすべて細かく切って田んぼに捨てている我が家・・ だから自家菜園に使う藁が欲しかったんですね。
私は軽トラックでその場所まで行っていたのですが、それには目もくれずちゃんと一輪車持参で、それに藁をた〜っぷり戴いて
またズンズンズンズンと家に戻っていきました。
 あ〜ら、そういうことだったのかぁ〜〜 と、いかにも婆さまらしいと思い、してやられたけどチェック入れてもらってよかったかな、
なんていう、農繁期のひと時なのでしたぁ〜〜(´m`)


 10月6日

 本家の表紙はhttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/1326/  ジオシティーズだったのが、きのうからyahooと合体して
yahoogeocitiesになったようで、実にアタフタしてる。新しく取ったURLはhttp://www.geocities.jp/adada45777/  で、ミラーサイトになって
いるようだけど、今までのページのカウンタが0に戻って参っちゃってる〜〜 いくらカウンターを貼りなおしても、新URLにしか反映しない。
 昨日から始まった移行なので、サーバーの方もかなりごった返しているのか、両方のアドレスを行ったり来たりしてると、カウンタの
数字も形状も両方がごったになったり、一度はまったく自分と関係のない数字が出てきたりして、これはどっかのサイトさんのカウンターが
紛れ込んだかな?という瞬間もあり、当面は静観ですかね。

 ということでお知らせ、本家はhttp://www.geocities.jp/adada45777/ にお引越しいたいしましたん。
よろしかったら、お気に入り、リンクの張り替えをお願いしまたします〜〜〜
(って、ここに書いてどなたが読んでくださるんだべか??)


 10月5日

 あれま、もう5日だわ。先月なんて6回しか日記を書いていないわよ。ほんとにまったく気まぐれなんだからね┐(-。ー;)┌
 ぼーっとしてたら、どんどん時間が流れて行ってしまうね。とりあえず仕事も家業もやってるわけだから、そのことに罪悪感を感じる
必要はさらさらないんだけど、う〜む、なんとなく焦ってしまうのはなんでなんだろ。

 そんな中、はじめての方からメールを戴いた。分家の 掲示板に私が書き込んだ
『れすり〜は、なんでも肯定してくれる家族を持った、と感じています。
だから勇気も湧き、自信も持て、あれだけの仕事ができたと思います。
れすり〜は幸せモノだよ!!最近はずっとそう思っています。』

というくだりについてのメールだった。
 彼女はこうおっしゃる。

>私もずっとそう思ってきています。
>私の表現は、まるごと彼を愛する人がいてくれたからこそ、
>あれだけ輝いていることができ、人を幸せにできたのだと。
>私たちはその幸せのおすそ分けをいただいたのだと思ってます。
>だからこそ、惜しまれるのだと思います。
>亡くなっても、いまだに幸せをもらっていると思います。
>そして、もらった幸せをおすそ分けしなければと思ってます。
>そのためにも、自分が幸せでないといけないと思います。
>一人では幸せになれません。
>相手の幸せを願い、そして自分も幸せになる。

ね、嬉しいじゃない??
何が嬉しいかって、「そうだ!うちの(分家の)サイトのコンテンツは家族なんだ!」と思い当たったことなんだわ。
私がれすり〜が好きな理由、れすり〜に惹かれる理由なんぞを、この一年てんこ盛りに書いてきたけど、それは家族に支えられ、
自分もその家族を愛して信頼していたから、ってことに他ならないのじゃないかなぁ〜〜と。で、そのことを実に的確に書いてくださった
メールだな、と、その時に感じたのですワ。

 意訳も、まぁ歌詞のことゆえ圧倒的に恋愛が主題なのだけど、自分なりに「唐さんによって自由になっていくれすり〜、愛を感じて
一人の人間を信じて、疑いや自己防衛をだんだん捨てて、自分の気持ちを正直に表現できるようになっていくれすり〜」みたいなものを
(うまく著せているかどうかはともかくも)そういう主題で訳したいと思い、むりやりこじつけながらも意訳してきた。そしてそれが実に楽しくて
いつか自分と亭主との関係も重ねて考えていたりして、ほんとにれすり〜からは家族のあり方を教えてもらったなぁ と感じていた時の
このメールだったからね。

 即お返事を書きましたよ。

実践されていますか??(*^.^*)
これもれすり〜のくれた幸せのひとつですね。
私は頑張ってますよ(^w^)

 こういうお返事がきました。

>はい!
>私も頑張っています。
>私生活では主人が私にとっては唐さんです。れすりのことも深く理解してくれてます。
>私にとってのれすりも、れすりと唐さんの関係も。
(メールはご本人の許可を得て引用しています。)

 ま、はっきり言って、うちのはれすり〜のことを深く理解してはくれていない。そして私はそこまでは求めていない。(いや、拒んでる)
私たちは「あなたの好きなこと、私の好きなこと、供に大事。でもそれはあなただけのものであり、私だけのもの。それぞれが自分の
好きなことを大切にすればいい、その内容には気がつかない振りをするからね。だから私のことも見ない振りして許してね」
って感じなのだが、とりあえず亭主もそれで異議はなさそうだし、実に楽な場所に落ち着いている。

 昨年の6月頃かな、このサイト(分家)を開いてぽつりぽつりといろんな迷の方とお話ができるようになった時、「自分は母親とうまく
いっていませんでした」というメールが団子で来て、びっくりしたことがあった。(きっと私が日記にそんなことを書いたからだろうけど)
 それも過干渉ではなく育児放棄の傾向で、積極的に邪魔者扱いされていたという方々もいらっしゃった。
とにかく母親が自分を理解してくれない、理解しようとしないというもので、それが中年になって、自分の子育ても終えたような今になっても、
やっぱり辛い思いとして残っていて、れすり〜を思ったとき(って、みんな年がら年中思っているんだけど)なんだか甦ってきて、
悲しかったのかな、と思ったりした。

 だからお互いを無視しなくて、話も気楽にできて、何を言ってもとりあえず頭から馬鹿にはされなくて、自分の存在をちゃんと認めてくれる
家族、そしてそれによってなかなか表現できない深層の想いをだんだん表にだして気持ちよくなれる家族を、私はみんなに持って欲しいと
願った。(なんだか大仰だね、こんな書き方。)
 非力な子供の頃の理不尽な想いを、なんとか解放してそれぞれが自分らしく生きて欲しいのよ、マジな話。
 そしてね、それはオトナといわれるようになった私たちが、今の子供たちの心を思い巡らすための、実はすっごい参考書なのかもしれない、
って思うもの。

 ここまで書くと、話が大きくなりすぎて収拾がつかなくなるんだけど、れすり〜の場合は唐さんによって、その辛さを華に変えた。
だけど子供の頃の頑なさを、新しい家族(配偶者)との行き違いでもっとひどくしてしまったら、これは幸せな一生だとは言えない気がする。
(たとえどんなにいい洋服を着て、大きな家に住んで、エステに通っても)
 家族がどんなに大切なものか、一度深呼吸してちゃんと考えてみてもいいんじゃないのかな?って思ったのよ。
 そしてそのことを改めて考えさせてくださったこのメールに、心から感謝しますm(_ _)m
 


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