2004、ホームページも6年目になりました 。ネット人口もどんどん増えて、世間様に恥を晒す頻度も高くなってまいりました。それでも変わらずこのページは存在し続けるようです(;^_^A

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 1月29日

 実はつっ転んだ腰(おしり??)がまだ痛い┐('〜`;)┌ 特に寝ると体重が腰に掛かるものだから、一層痛い。
会社の看護婦さんに言われてタオルをドーナツ状に作って尾てい骨をカバーしてるのだけど、それがまた別の意味で
邪魔になる。熟睡できなくて、ちょっと睡眠不足かも。(マジ、笑えないんだよぉ〜〜)

 さて昨日は定休日。朝っぱらからおでんを作ってストーブに掛けてやっぱり二人で家を出てみたけれど、
どっちに曲がろうかまた思案(それくらいなら家にいりゃぁいいのにね。)
でもって、新しい道を通って秋田のイオンに行って、100均と、食料品のお店・・・なら、うちの町でも充分間に合うものを、
どうしようもない夫婦ですな。
 帰ってきておでんは煮えてるし、PCに陣取って、意訳に使う画像探しです。う〜〜ん、表情はいいけど、この衣装では・・
と、あれこれひっくり返して、でもってやっちゃいました!着ていたワイシャツとスーツの襟元を修整して、
裸にしちゃったのヾ(>y<;)ノ (でも小さな範囲だけどね)まだまだ使いこなしてない画像ソフトに振り回されながら
首の色を拾って、肩のあたりに塗って、何度も何度も納得できる色が出るまで繰り返す・・・ まったく信じられない努力だしょ。
 それを肩越しに覗き込んだ亭主が、一言「スケベ」と言いました〜〜〜 ひぇ〜〜 おっしゃるとおり〜〜(;^◇^A


 1月25日

 3日ばかり前から大雪になっています。気温も上がらなくて、まったく冬のど真ん中。
 夕べ、村の婦人会で「年祝い」をしました。数え年の末尾が3,7、9歳に当たる方が当番で、今回は寒鱈をさばくと言う〜〜
私は仕事だったので、さばき終わって、料理も出来上がってから優雅に村の会館へ行くと、もうすっごい料理の数々!
こ炒り、ともあえ(ぬた)鱈の煮付け、ザッパ汁、それに2升のおコメを炊いておにぎりが山のよう。持ち込みの自慢の漬物やら、
ビールやらチュウハイやら、ワインやら、日本酒やら(^^ゞ おしゃべりやら、そして極めつけ、婦人部長の名取の踊りの披露〜
 みんなすごいっすよ。(ちなみに今回の寒鱈のお値段は一匹11000円也〜〜  やっぱり高級魚だ。でも美味しかったよ!)
今回の話題の中心は「冬のソナタ」(;^◇^A  ね、分かるでしょ、村のおばさんたちだもの。
私は残念ながら見たことはないのね。でも以前話題にはなってた、会社でも。見てない人たちの中には「私には絶対に無理」
って頑張る人もいて、それもまたいかにも。
 私はあんまり飲めなかったねぇ 私のためだけに日本酒も五合用意してもらっていたけど(いつもはそれ全部空けて
酔っ払って、またしても語り草になるのだが(-"-;) )日本酒までは到達できなかった・・・ (つまり、それほど酷いことには
ならずに家に戻れたってことだけど、帰ってきてからまた飲んだのは言うまでもありません・・)
 婦人会もね、年齢的なこと、世代間のギャップ、それから村の変貌、社会情勢の変化(JAの合併とか、役場との係わり合いとか)
でね、突き詰めるといろいろあるのよ。もっとぶっちゃけた話では長い長い付き合いとは言え、それぞれのメンバーの相性も
あるし。
 でもこういう行事があると、みんなとても盛り上がってしまうね。滅多に顔を合わせないメンバーの元気な顔をみるのも
嬉しいし。今回年齢が上の4人が引退、ということになったけど(その人たちと仲のいい私も、うううう〜〜ん、もう私もいいかも・・
と思ってしまうのだが・・・ でも残された人たちは少ない人数で今以上の義務を負うだろうし)なんとか続けて行くのが
私たちの責務なのかなぁ〜〜〜(どうなのかなぁ??と僅かに疑問??(^m^))
 26年前、初めて婦人部に入った頃とはほんとにずいぶん婦人部そのものも、日本って国も変わったけど、とりあえず、
気楽な気持ちでもう少し在籍していようと思う。(これで上から3番目の年長になってしまった。でも若い人たちとの会話、
とても面白いから、なんとか遊んでもらおう!)よろしくね。


 1月21日

 さ!日常だよ!元気だそうぜ!と思っても、なんとなくどんより・・・・
 とりあえず定休日だったので、亭主とまた家を抜け出しました。秋田までドライブして、来月の15日に予定してる
れすり〜の秋田オフの会場を確認してきたの(^m^)(ま、つき合わされる亭主もいい面の皮だが、要は暇なのである。
家を出るために車に乗って、さ、どっちに曲がる??なんて状態だもの。行き先もないまま、家にはいたくない哀れな夫婦)
 車に乗っていれば足りる用なので、ひたすらくっだらない会話さ!(どうせれすり〜のCDは自粛だし)
私はこんなことだけでとても気持ちが安定するのにね。無理やり片方をもぎ取られたカップルの、残された方は、どうやって
寂しさを紛らわしたらいいの??

 昨年、同町の50代の女性が焼身自殺されたのね。私は個人的には存じ上げないけれど、同僚は葬儀の手伝いに
何日か通ったし、亡くなり方がそうだったので、やっぱりその同僚とはいろいろ話したのですよ、何故だろうって。
 それが、たまたま3日前、その方の同級生の方と話す機会があって「居場所がなかったのが原因」っておっしゃるのよね。
・・・・うううう〜〜ん 同僚と、その話をしたのですよ。御近所で近くしていたから、50代の主婦が、そういう原因で
自分から生きることを止めたりするものだろうか、って。彼女も私も家庭に揉まれてる(というか、ヨメである)ということでは
ある意味居場所はないけど、亡くなった方も夫婦はそれなり円満だし、息子夫婦とも特別折り合いが悪いわけじゃない。
どうしても腹に据えかねたら、最終的には家を出てもいいわけよ、それができるくらいの人生は経験してきたのだし。
 同僚とは似てる部分も多くてよく話を聞いてくれる人なので、けっこう突っ込んだ話ができるんです。そしてその会話で
自分でも気がつかなかった気持ちを掘り起こしてくれる。
 ・・・それで、私はなんとなくその「居場所がないから生きるのを止める」って気持ちが、分かってしまったような気がしたの。
でも彼女には分からない。それは、彼女は「居場所のない」子供時代を送ったことがないから。とても愛された子供だったから。
 亡くなった方がどういう子供時代を送ったか、なんて知る由もないけど、ただ、すごく自分の存在感が希薄な毎日で
子供も育って、夫も優しくて、でも瑣末な軋轢が日常に転がっていて、自分はもういなくてもいいし、現実には興味がないし、
いてもたいして楽しいこともないし・・・
 そう思ったら、この世間にたいした恨みつらみはないけれど、留まるのもめんどくさい、っていう気持ち、とてもよく分かる。
 でもそれが全く分からない方も多い。「寂寥感」「孤独感」 これ、言葉で説明するの、難しいのよ。
経験のない人は、いくら言ってもそんな感情が心の2/3も占めている人間がいるって信じないんだもの。
 でも私はそういう人間の一人。れすり〜もきっとそう。そして亡くなったその方も。
 もちろん、私は自分で生きるのを止める気はない。毎日とても楽しいもの。必死で存在理由を探して、そして見つけ出して
いるもの。
 
 はい、また飲んでいますことよ♪
でもとっても元気です(*^-^*) だって、意訳が山のように溜まっているもん。さぁ、どうやって料理する??
とてもとてもあっちの世界に憧れてる暇はないの♪ 


 1月19日

 葬儀に行ってきました。
 どんな時でも笑っている友人の、笑わない顔を初めて見た気がします。同級生がたくさん集まりました。
 長い病気との戦い、そして仕事、家庭・・・ よく頑張りました、彼も友人も。
 私は泣くしかなかったです。同級生の弔辞、電報の文面、そして喪主(友人)の挨拶・・・
 
 近くの同級生の家で同級生だけのなおらいをしました。30人くらい集まって、けっこうはしゃぎながら、若かったころ
子供の頃の話をしました。8月に行われた同年会の写真が回ってきて、スナップ写真に彼が2枚写っていて、いずれも
隣が私でした。みんなから「おまえ、いっつも二人の邪魔してるんでねぇか、」って、言われちゃいました(;^◇^A
でも、ちゃんとそのそばに彼女が寄り添っているんだよ!お生憎サマ。
 みんなで5時間も話続けて、それでもまだまだ話がつきません。酒を酌み交わすオトコたちは置いて、女性軍は
退散したのですが、新潟から駆けつけた友人を駅に送りながら、これが彼のお葬式でなかったらよかったのに・・
って、やっぱり寂しい夕方になっちゃいました。


  1月18日

 嗚呼・・・ 朝仕事場の駐車場から現場に行く途中に、すってんころりんと(というよりも一旦空中に浮いて、地面に
激突した気分)転んでしまいました。(だってキタナイ!てろてろのアイスバーンなのに、その上に新雪が積もって、
全然下が氷だなんて見えないんだもの!)尾てい骨をモロに打って、しばし身動きも息もできない状態。
(でも、私の後から来た同僚も転んでいた(;^◇^A  ) 午前中の仕事はぎっくり腰状態で、中腰の作業が超辛苦。
重たいものを持つ仕事だから打ったのはおしりなのに、足もお腹もみんな変な感じ。それにどんどん痛くなっていくような
気がして、(う〜む、もしかして尾てい骨にヒビでもはいったのではないだろうか?でもそうなると構内だし、
守衛が見てたし、労災になっちゃうけど今日は日曜で産業医も休みだし、レントゲンも撮ってくれないだろうな〜〜 )
などど、かなり気弱に悪い方向へ意識が行っちゃう。
 午後の仕事もしんどくて、(そう言や、誰かが亡くなると身内とか怪我したりするんだよなぁ、よく。私って身内か??
○○○!《←彼のことなんて呼び捨てだもんね、お互い。ヨメである友人は○○○さん、って言うのに。》分かってるよ、
○子のことは、私がちゃんと見守っていくから心配しなくていいよ(*^-^*)って、どっちかというと私の方が
見守れているんだけどね、いつも(^^ゞ )
などと心の中で話していたら、スススス・・・と痛みが消えた気が・・・(ほんとは立ち方を変えたんだけどね。普通通りには
もうダメだと思って、膝を曲げて相撲のすり足、スキーのボーゲンみたいに太ももに力を入れたのよ)
 なにやら夕べ、酔っ払って亭主に管巻いたそうで(これがまるっきり覚えていないのよねぇ〜 かなりヤバイ)
転んで痛いよ〜〜 と帰った私に、亭主はヤンヤの喝采!(ま、言われると思ったんだけどね。)でも湿布を貼ってくれました。
 明日はお葬式。みっともない歩き方でなくてちゃんと歩いて、彼を見送らないとね。


 1月16日

 年が明けても、悲しみの連鎖は途切れないみたい・・・(;_;)
 先月の日記に書いた(12月26日)友人のダー様が今日亡くなってしまったって・・・(>_<")
家に帰って、婆様が「だれでら同級生って人から電話きた」と伝えてくれた時、わざわざ同級生と名乗って電話するって・・
と、ちょっとヤな予感がしたのね。思わず「同級生の誰かが死んだんじゃないかな?」と口に出して言ってしまった・・・
 もちろんその時浮かんだのは彼の顔・・・ 長い透析生活で、いくら気合で頑張ってもあちこちに無理がきてるのは
想像がついていたから。(20年前、兄の時だってまさか死ぬとは!と思う状態であっと言う間に逝ったのだから)
 でもそれが本当だと分かった時は、もう信じたくなかった。彼は病気で苦しんではいたけど、友人と結婚して幸福なはず
だったから・・・
 友人とはまったく連絡が取れない。(そりゃそうだ。田舎の嫁なんて、自分の亭主が亡くなっても、押し寄せてくる
親戚縁者や近所の応対に追われるだけ┐('〜`;)┌)携帯メールには今年20歳の長女が代理で返事をくれる。
それもまた泣ける・・・・

 友人との仲は40年。小学校3年の時、分校の私は本校との合同の運動会で彼女と会話したこと、はっきり覚えている、
校庭に並んでしゃがみながら、お互いのこと地面に書いたの。
 4年生からは本校だったし、中学もそのまま持ち上がりでたった二つだけのクラス。学年全員が兄弟みたいだった。
(だから亡くなった彼とも兄弟なのよ、私たち)
 友人と同じ女子高に行って、そんな長い仲だからお互いの家にも泊まりっこして、うちの母親は「彼女が兄の嫁に
来てくれたら」とか「どっちかがオトコなら」なんて、とんでもないことばかり言っていた。(な〜にを考えているんだか)
 私は思春期の半端でない情緒不安定を彼女によってずいぶん救ってもらったと思っているから、彼女には一目
置いている。ずっと保護者だと思って縋ってきた。

 ところで亡くなったダー様とも、これが意外と仲良しだった。彼は目立つタイプで、ちょっとワルっぽい。年上、年下、
同級生からもモテた。私は彼のようなタイプは怖かったから近寄らなかったのだけど、お互いの友達が恋人同士で
高校の頃、4人でお泊りの旅行をしたこともある。
 でも、おとなしくて目立たない優等生の友人とちょっと派手っぽい彼との結婚が決まった時、同級生もあきれ返ったが、
センセなんか「どうスピーチしていいか分からない」って言っていたもんね。

 新婚時代は試行錯誤の連続、って感じだった。(我が家も渦中・・だったかな?)
派手な彼だから、元彼女とも続いていたみたいだし、彼女がまた彼が今まで付き合ってきたようなタイプじゃないから、
何かと行き違いもあったみたい。
 でも2番目の子供が生まれた時のお正月、私、彼女の家に泊まったの、久しぶりに。(クラス会の帰りで、彼と一緒に
彼女が産後で戻っている彼女の実家に行ったのね。)なんだかんだと、結局同じ部屋に私たち3人と、上の子、下の子、
5人だったのかな?? そしたらいつも私に彼のグチをこぼしていた彼女、二人手を繋いで寝てるじゃないの!!!!!

 あの尖がっていた彼、どんどん柔らかく優しくなって行った。夫婦って影響しあうものだって、目の前で見てしまった。
彼女は優しい。絶対に否定しない。そう扱ってもらっていた私だから、彼が変わっていくわけも分かる気がした。
 彼は結婚当初から腎臓がウイルス感染してしまったとかで蛋白は出ていたけど、何年後かはやっぱり透析しか手段が
なくなっていたのね。そんなある日、彼女との昼休みデートに彼も来て、調子の悪い彼は休みを貰っていたのかなぁ
仕事に戻る彼女にバイバイをして二人でドライブにでかけちゃったんだ!!!!(彼女にはその時はナイショでね)
 秋田市の水心苑で綺麗な水や木々を見ながら、昔一緒にお泊りした仲じゃないって思いながら、話す内容はお互いの
子供のこと、配偶者のこと、同居の親のこと〜〜〜 色気もなんもありゃしない┐('〜`;)┌ ただ、二人はこんなに
仲良し夫婦になったんだな、私たちは彼女を挟んで彼女に生かされているんだな・・・・ そんなことを再確認した半日だったの。
(彼はすぐに彼女に打ち明けたみたい。後で少し怒っていたから(^m^) でも私は未だに亭主にはナイショ)

 ・・・・・・・・兄が同じ病気を患っていたこと、生体肝移植をしたことなんかで病気のことは分かっていたつもり。
でも大事な友人の旦那様が亡くなることは別、それからちょっと縁の深かった同級生が逝ってしまうこととも。

 彼女とはしばらくは無理ね、ゆっくり話すことは。でも顔を見られなくても分かってあげたい。そして、もし私が気に掛けて
いることで彼女が少しでも楽になれるのなら、それを知らせて上げたい。(楽にならないのなら、私のことなんか思い出さなくても
いいんだよ!)
 私は、とても今は亭主がいなくなってしまうことなんか、想像もできないから・・・


 1月11日

 今日は猛吹雪の一日でした。この冬一番の寒さかな??その地吹雪とアイスバーンの中を、今日も(昨日も明日も・・)
仕事場へと車を走らす私〜〜〜 でもいいんだ!車の中でれすり〜の曲がたくさん聞けるから┗(=^ε^=)┛

 ってことで、先日戴いたムイ姐の訃報が載った新聞をけんこーちゃんに(ダー様を通して)渡したところ、お手紙を
貰いました。(あれ?「手紙」って、中国語だと「便所紙」のことだっけ??)
けんこーちゃんの許可をいただいたので、全文ここに載せますね。(原文通りです。日本語、とても上手ですよね。)
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 アニタのニュースを教えて、ありがとう。
ほんとうに残念ですね。信じられないですね。アニタは癌になったも全然わからなくて、そんなに元気だったのに、あ〜
人生はわからないです。しょっくです。
 羊年で、やっぱり悪い年です。張國榮の死からやっとおちついた気持ちはまた揺れてしまいました。今の気持ちは複雑で
話がいっぱいあって、うまく表現できなくて、つらいで一言です。
 いい人はさきにいく。とてもいたましいです。残念です。
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 けんこーちゃんの気持ち、痛いほど伝わってくるでしょ?ほんとはゆっくり顔を見ながら、たくさん話をしたいのだけど
こんなに近くにいるのに、どうしてままならないのでしょうね。
 でも、最近携帯メールを始めた、とダー様からメルアドを教えてもらいました(^-^)V
夕べ早速、れすり〜の「被愛」の歌詞を打ち込んでメールしました。直訳がもらえれば、また意訳もできる。
れすり〜がまた近くに戻ってきてくれるようで、とても嬉しいのですよ。
 今、日勤夜勤と交代勤務の忙しいけんこーちゃんだけど、どうぞよろしくお願いしますだ〜〜


 1月5日

 世間様も平常運転ですね。今年はどんな年になりますやら。(みなさま、そして自分自身にとって、よい年になるよう
心から祈りますデスm(_ _)m )

 今日は仕事場でも全体朝礼がありまして、午後からは全体昼礼もありました!なんと!一日のうち集会が2回も??
それは今日から(正式には先月の30日からですが)外注だった下請け会社がうちの工場内に引っ越してきたから、
なのでありますよ。
 社員、パート、アルバイト、派遣、派遣のアルバイトで300人弱いる工場に60人の外注さんがやってきまして・・・
 朝礼では今年の指標、昼礼ではその外注さんたちとの顔合わせでした。
 世の中の景気がどうなっているのかパートの端っこにはよく分かりませんが、シフトの変更や、仕事の移動は必至だろうな・・
とりあえずクビになるまでは働かねばならない現状ですから、それぞれいろんな立場ではあるものの、よい製品を作ることで
まとまらなくちゃいけませんよね。とりあえず言葉も人種もみな同じなので、それだけでも心は通じやすいと思いますです(;^_^A

 そして昨日のこと。仕事から帰ったら郵便物が届いていました。中を開けたら中国語の新聞は2種類(
勁爆新聞と中時晩報)
入っていました。昨年秋田オフで一度だけ顔を逢わせた方からでした。
 年末、香港に行ってらして梅艶芳の訃報に遭遇されたようです。ムイ姐の写真や記事がぎっしりでした。
そんな新聞を手に取ると、やっぱり切なくてやり切れません・・
 ほんとに今年はこんな悲しいことがないように、と思います。もうそんなに若くないから
いろんな場面に
遭遇することは逃れられませんが、感じる心を摩滅させないように相対して行きたいとも思います・・


 1月2日

 はい、年末の30日は貫徹でお店の御節作りをしていたその2、31日の夜に寿司を持って帰ってきましたが、早々とダウン。
そしてさすがに1日はお休み、ということで夕べは4人で飲みました。
 普通母親はかいがいしくつまみを用意して、お酒を運んだりするのでしょうけど、私がどんなだったかは、みなさん想像に
難くないでしょ(;^_^A  でも、和気藹々でしたことよ。(実は息子たちの白い目に気がつかなかっただけ??)

 本日は午後から実家にお年始に行ってきました。嫁さんは今日からすでに仕事で、婆さまは少しくたびれ気味か、グチっぽい。
でもって、家に4日もこもっていた私も何とはなしに不機嫌。ま、それがまた親子っていうのでしょうかね、なんとなくなんとなく・・・
 なんだかんだと言っても、亭主のほか、その1まで電話で呼んで、甥、そして姪、(私どころの騒ぎではない)大酒のみの弟と・・
けっこうはしゃいで参りましたのよ。
 所変われば、お鏡も違う、ってわけで、本日は実家のお鏡を激写????してきました。
  
   二段のお鏡が二個。      千両?万両?たくさん実っていました。 甥に500円のバイト代を払って飾った掛け軸(^m^)


 2004年 1月1日

 謹賀新年 本年もよろしくお願いいたします。     
 いい天気の元日です。気温は11月上旬くらいだとか。うちのお鏡は3段なんですが、はっきり映っていませんね(^^ゞ
先月の30日の朝に「明日帰る」というその1からメールを読みまして、ジジババや亭主はその2に、「明日兄ちゃん
帰ってくるって〜〜」と報告して、「気をつけて運転してきてね」などどと殊勝な返事を書いてるところにその1がやってきました。
「あれ??明日じゃなかった??」 で、ふと気がついたのでありますが、メールそのものは29日の真夜中の送信だったん
ですよねぇ〜〜 こんな親だす(- -;)  ついでに「帰ってきても、ここんちは何も食うもんがない」って言われちゃいました(;^_^A

 でも、30日、31日とレンチャンで飲んで、その1よ、あんたはまだまだ母の足元にも及ばんね、って、そういうことを
普通は思わないわな、母親なら┐('〜`;)┌
 ま、どうせこんな親ですから。


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