ホームページも10年目になりました 。
んにゃっ!疲れてなんていられないっ!パワー溢れてこそのオバサンだす。
たまひてにはため息もでるけれど、あんな山こんな海、まだまだ越えていきましょう。

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 4月27日(日)

 爺様は24日に無事ディデビュー(?)を果たし、ことの他ご機嫌でしたが、続けるかどうかはまだ考え中、なんぞと含みのある発言で
ありましたな。ディサービスの職員のみなさんは、ほんとに年寄りを上手に扱ってくださいますが、それゆえ、微妙なプライドがまた、
微妙である部分もあるのでしょう。(ああ、ややこしい) 仕事ばっかりの我々には、週一程度のこんなイベントが少々羨ましくもありますが、
それは無い物ねだりと言うものでしょうかね。

 昨日、仕事を早く切り上げて、其のAの働いているお店に親戚が集まりました。『一昨年福島で結婚した姪夫婦がやってくるから、たまには
外で集まろう』」と、『婆様に引き続き、爺様の入退院、ごくろうさんでした』という名目でしたが、長義姉夫婦、次義姉は親子二人、三義姉は
夫、娘、孫二人、四番目のうちは其のAと3人、五番目の義妹が娘夫婦と息子というラインナップでしたので、計16人が集まったのかな?
 はっきり言ってこういう集まりは、冠婚葬祭と盆正月しかないし、集まる場所は家か旅館くらいでしょ、軽く居酒屋で飲み会、ってのは
ヨメに来て30年、初めてのことでしたね。今回はみなが(お店の人に)もてなされればいいわけで、いつも運転手のオンナ組も張り切って
飲みました。唯一長姉だけが代行では遠すぎるので飲めませんでしたが、今度はホテルに泊まればいいさ、と。(家に泊まれば婆様が
うるさくて面倒、と言いつのる実の娘たちであります(;^_^A )

 何が嬉しいって、今回は其のAたちにとってのイトコが5人集まったこと。全部で14人いるジジババの孫たちは、同市にいるにも関わらず
道ですれ違っても分からないんじゃない?というむきもあり、遠い昔にはうちで団子になって走り回っていたのに、当人たちの記憶には
残っているのかいないのか〜〜〜〜
 イトコが顔を合わせて酒を飲む、なんていのは初めてのことだったんじゃないのかな?聞く気で聞いたワケではないけれど、男同士で、
結婚観生活観なんぞも語っていたようで、ほんと、みんなそんな年頃になったんだよなぁ・・・とε=(-。-)

 家庭内の会話が少ないため(;^_^A 其のAはジジババも参加するものと思って花束を持ってきてくれました。
とっても綺麗だったので、本日はいい気になって、その画像でもアップしましょう。

     
 


 4月21日(月)

      
 

      

 昨日の20日、ちょいと場違いな場所に招待されて行ってきました。
会場は道の駅「ねむの丘」ですが、ねむの丘の10周年及び西施像建立記念の会で、市長さんやらにかほ市の中国友好協会
(とかなんとか)のみなみなさまなど、お偉いさんがてんこ盛り!40人ほどの来賓の中でオンナは私がたった一人!という
けっこうびっくりの催しものでありました。

 招待の理由でありますが、先月「にかほオリジナル歌唱会」の親分から「ねむの丘の10周年のイメージソングを頼まれているが
主催者で選んだ詩人さんの他に、もう2曲くらい作ってくれないか」と、メールが来たことから始まったのでありました。
 すっごく急いでいるので曲に合わせて欲しい、ということで会社に行ったらロッカーにCDが入っていました。
メールが来た次の日は休み、CDを昼休みに聞きながら、当日のうち一曲を作ってメールで送り、その次の日にもう一曲。
 おりしも爺様が入院中で休みは病院通いだし、二日間これ以上はないくらい集中して作ったので、そのあとの親分や道の駅側の
ダメだしには、青息吐息の状態で応えましたが、結果オーライで作って一週間も経たないうちに歌手さんを決めてCD録音も
やっちゃったようでした。(みんなすっごい勢いですよね。)

 で、親分から記念の会に、歌手さんたちと一緒に参加して欲しいと言われて、日程がうまくあったので軽い気持ちででかけたら
「イメージソングの作詞家さん」という立場で、来賓として紹介されちゃって唖然!!
 でも、た〜〜くさんごちそうが出たので(車で飲めなかったのは残念だけど!?)たらふく頂いて、記念品まで頂戴してきました。

 でもって主催者側が頼んだ作詞家さんというのが、私の投稿作品を何度か選んで下さっていた選者さんでした。プロの詩人の方です。
同じテーブルに座らせていただいて、こちらから「実は投稿作品を選評していただいてる者です。」と申し上げると、実に怪訝な顔です。
そりゃ、名札の名前では投稿してませんもんね。「はい、ここ一年ほど投稿はしていませんが、ご存じないとは思いますが
ペンネームを阿部ゆりと申します。」と言うと、なんか、詩人さんてば役者かしら??というくらいの反応の良さ。
「え?あなたが阿部さん?そうだったんですか!!」と、実にすばらしい演技力です。( (^_^;)\('_')オイ )
 帰り際には先生の「ネフド砂漠の海」という著作を頂き、ちゃんと「阿部ゆり様」という名前まで書いていただいて、名字も名前のひらがなも
迷わず書いて下さったので、一応存じ上げていて下さったことは信じました。オイオイ
 歌手のみなさんと一緒に記念撮影なんぞもして、昨日の何時間だけちょこっと文化人の振りをして、かなり舞い上がってしまったので、
いつまでも怠惰でいてもしかたない、投稿戦士も復活すんべ、と心に決めた一瞬でした。

 そういえば、親分に誘われて、作詞はけっこうしています。それをここ2,3年は全然アップしていないし、他にもするべき更新をしていない
状況がかなりあるので、ネットゲームでジグソーパズルばっかりしていないで、前向きに動かなくては、とも思っています。
(企画を頂いていながら、全然ストーリーを考えずお待たせしたままご迷惑を掛けているレミさん、ごめんなさいm(__)m )


 4月15日(火)

 仕事と寝るだけの4日間が過ぎて、つかの間のお休みです〜〜
明日は一日中稲の種まきで明後日からまた仕事なので、今日はなんとか自由時間を見つけてやるぞ!と勢い込んでいたのですが
午前中には快気祝いの手配に行って戻ったら、介護用品屋さんが歩行器を持ってきて(とちぎナンバーの車だった(◎_◎) )
爺様の好きなタイプを選んで、そうこうしていたらケアマネさんがディサービスの職員さんを連れてきて、その段取りです。
婆様は今週からでも行って欲しそうでしたが、なかなか爺様が折れず来週の木曜から、ということに決まりました。
 午後からは私は買い物に。尿取りパットも少しでも安いところから買いたいし、父ちゃんの用事、婆様のお使い、いろいろ抱えながら
でも今日は火曜だし、久々にイオンでも行こうか・・と、家に戻ったれば、三番目の義姉の娘(爺様には孫ですな)がケアマネをやっている
ので、お風呂用の介護椅子持参で久々にお風呂に入れてくれました。
 プロの介護士と、姪という立場で交わす会話は、なかなかギリギリで面白かったですよ(^m^)(義姉の姑も微妙なのですε=(/。\;))
 夕方には夕飯の支度のあと、日雇いから帰った亭主と明日の段取りなんぞでビニールハウスでの仕事もしたり〜〜〜

 でもね、でもでもでも、今日はとっても嬉しいことがあったのです(*^-^*)
買い物に行ったイオンで、(私の中では)一番の友達にバッタリであったこと♪
 2004年に未亡人になっちゃった彼女(詳しくはこちら)、今は大正生まれの舅姑と3人暮らしで、昨年は長年勤めていた測量会社が
倒産してヘルパーの研修をして、今はJA系のディサービスセンターでフルタイムで働いています。
 小学校の時に知り合って45年くらいになるけれど、私にとっては大事な大事な大事な友人、でも二人で話せる時間が取れない・・・
アナログな彼女はあんまり携帯メールも好きじゃないし、PCもあるのにネットを繋ごうとしない。
 電話でやっと段取りを決めれば、急用が入ってキャンセルせざるを得ない・・・ てな感じで一年以上顔を見ていませんでした。
 それが思いがけず「ちょっとお茶しようよ」って言われて、爺様の風呂のことも忘れてスーパーの休み場でお茶どころが水も飲まず
互いの消息を語り合いました。
 彼女「きっと神様が合わせてくれたんだね」って、そんなことを言いそうな彼女ではあるけど、思っているのは私の方が絶対たっくさん
なんだから!!!!!

 久々の片想いをプチ燃焼させて(??)今日はとっても幸せです(*^-^*)
こんな偶然がちゃんとこの世にはあるんですね。

 来週は個人的な催しがあります。家はいつものように仕事の振りで空けますが、ちゃんと亭主には了解をとってあるし、自分らしさを
見失ったりはしていません。
 それを嬉しい形でここに書けたらいいな、と、今から楽しみです。どんな20日になるのかな?? 


 4月10日(木)

 退院してきました。爺様はやっと病院から出られる感激と不安のせいか、アイスクリームを所望。途中のスーパーで買って、家に着いたら
第一にそれを食べていましたね。(そしてお腹の調子が悪いと、昼食は食べなんだ┐('〜`;)┌ )
 最初のトイレ、もうどうなることかと婆様と私、そして当然本人も緊張の面持ちでしたが、杖と柱なんぞにたぐりついて、なんとかこなしました。
午後からは早速ケアマネさんがやってきて、住宅改修とディサービスについて。これだけなら要支援で受けられる範囲だそうで、
なんとかなりそうです。
 それにしても役場とは思えない仕事の速さ(?!) こちらも業者を選んで見積もりを取って貰うのは煩雑だな〜 なんて思っていたら
町の古くからある工務店に連絡してくれて、夕方にはもうお店の人がスケールもって来てくれました。
 来週の私の休みに合わせて、ディサービスを希望した施設からも爺様の様子を見にきてくれるそうで、舅姑や実家の親が要介護の
会社の同僚たちの
話を聞いてるよりは、スムーズだった気がします。

 でもね、婆様もいろいろと考えることがあったのでしょうね。
昨日から爺様が帰ってきたら、あの梅の木の下で一緒に写真を撮る、って言っていたのですよ。
 肝心の爺様が「うん」とは言わない気がしていたのですが、なんと、婆様に説得されて、二人で木下に並びましたからね(^-^)
(爺様は杖を持って、ビールケースに座っています。)
 こうなったら、其のAの仕事場に公私混同を持ち込んで、A3くらいの用紙に印刷して貰おうかと思っています。(*^-^*)V 


 4月9日(水)

 ふぁ〜い、やっと休みですぅ 今月も4勤2休が3回も組まれていて、なんとも時間が足りない。で、いよいよもって爺様の退院が明日に
決まりました。亭主が一昨日役所の福祉課に行ってくれて、今日、病院に職員の方(ケアマネさんかと思ったら、違うみたいね〜)が
来てくれて家族や本人から話しを聞き、認定にはまだ時間が掛かるけれども、明日退院して家に戻ったら、家の方に社会福祉協議会の
ケアマネさんが来てくれて、廊下やお手洗いに手すりなんぞを付ける算段をして下さるそうです。要支援にもならない、完全自立は
おそらくないでしょう、というお言葉でありましたから。(役所仕事なれど、意外と早い!)
 
 爺様本人は思ったよりも前向きで、病院では入院してからこっち、一人では一歩も歩いていない生活ですが、トイレには這ってでも行く、
家の中で杖をついて歩く!と言っていました。
 時間が掛かっても、いずれ自立を目指して頑張って貰わねば! そのためには婆様にも強く激励してもらうつもりでいろいろ話しています。
普段は大変言葉の少ないヨメなのですが、今回ばかりはこのままずるずると寝込まれるワケにはいかないので、けっこう威圧的に
出ています。
 願わくばなんとか要介護の認定が出てディサービスが利用できれば、と。今の段階ではお風呂もとっても一人では入れませんからね。
(それに婆様のストレスもけっこう強そうなんですよ。繰り言がひどくてね。これで手は出さないにしろ、転んで怪我でもされないよう、
24時間、そばに張り付いていなければならないことになったら、大好きな畑仕事や、そこでのお仲間との井戸端会議にも支障をきたし
ますから。たまには一人だけの自由時間を持たせてあげたいし。)

 それにしても・・・ 婆様も爺様も同じくらいの入院期間ですよ。確かに切った部分は爺様の方が大きくはありますが、内臓はどちらも
丈夫。なのに退院後のこの違いは、明らかに男女の違いのような気がします。(ちなみに年齢は婆様の方が一つ上です。)

 今回は父ちゃんもずいぶんフットワークが軽くて、心強く思いました。ヘタすっとこういう仕事は全部ヨメが背負うべきと思う向きの
中年オヤジも多いと思いますが、私が仕事を休む必要は(手術日以外)全然なくてすっごくありがたく思っています。

 でも病院通いって疲れますよねぇ〜〜〜 婆様が嫌がるワケです。私でさえ先週熱を出しちゃいました(^^;ゞ
今日は亭主と二人で病院で役所の人にあったのですが、帰ってきたら二人ともぐったりで、きっと病院の空気に疲労発生物質が仕込んで
あるに違いない!と、ぼやく私。

 でもね、今日はとてもお天気がよくて、近年になくたくさん花をつけた庭の梅を撮ったので、見せびらかしますね♪デジカメを病院に
持っていって、爺様にも見せた画像です(^-^) かなりの老木で、幹を石で支えてもらいながら咲いています。

  

      

 


 4月3日(木)

 休みはどうしてこんなに早く過ぎちゃうんでしょうねぇε=(/。\;)
爺様はずいぶんとしっかりしてきました。昨日も今日もベッドに座って、メモ帳に書き物をしたり、新聞を読んだりしていました。
点滴も全部外れて、食事だけで栄養補給ができているようです。今の入院生活のテーマは元のように歩けようになること、なんでしょうか。
爺様の話では、リハビリ室には患者さんがてんこ盛りでびっくり!だったそうです。
 でも急がされてもいるらしいですよね。なかなか十分にリハビリをさせてはもらえなくて、少しよくなったらトットと退院・・ それが今の
医療現場のようでもあります。(これは会社や村のおばちゃんたちの話です、いろいろ勉強になります。)
 今日は婆様の年金に絡む住民コードの請求で本人を連れて役所に行き、ついでに爺様の介護申請の用紙も貰ってきたのですが
用紙はもらっても、なんとか自立できるようになって欲しいものだと心底思っています。(でも80代だもんね・・・)

 一方、家業も忙しい時期です。
亭主は「一人でやるからいい」って言うのですが、テキも週3日は日雇いの身の上。休みが被って、作業小屋での仕事なら、やっぱり
人情として手を出したい。ま、家事もあるのでパートタイマーほどの時間ではありますが。
 その合間に読書もしたい、喫煙もしたい、昼寝もしたい、どれを犠牲にするか、けっこう選択も楽しいもんです。

 爺様が入院して、ちょうど一ヶ月。婆様から引き続いて非常時がだんだん日常になって行く傾向ですよね。
それなら、この生活の中で自分を摩滅させず、対処しながらも自分らしくいたい。忍耐も不可欠だけど、それでストレスに押しつぶされて
気持ちが暗くなっていったら、我慢の意味がありません。

 こういう生活範囲の中でできること、惨めにも悲観的にもならずに人生を楽しむこと、それを探すのが私の生き方そのものかも知れません。
そう思ったら、むふふ、武者震いですよ!
 この状況をどう楽しむのか、けっこう自分でも楽しみです。 同じような立場の方々、一緒に探しましょうね(^-^)


 4月1日(火)

 4月1日です。
 当然本日の朝6時からの勤務でありました。でも朝が早かったワリには、工場は棚卸しが響いてかまだまだ製品が順調に流れてきません。
故に今日4月1日、あの日から5年目を、ハンドリフトを引っ張りながら感慨にふける(精神的)余裕もありました。

 もう何度も繰り返したけれど、今日はそれを繰り返してもいい日でしょ?だって、繰り返し想うんだもの。

 私は自分をナルシストだとは思わないけど、自意識過剰だ、っては思う。
きっと自分に自信のあるを方々はそれを同義語と思っていらっしゃるのかも知れないけど、違うよ、劣等感が強い(強すぎる)ってことでも
(たぶん)同じ意味だからね。
 実際のれすり〜がどんな精神構造をしていたのかは、言葉も文化も違う国で生まれた私に分かるはずもないけど、いろいろなことを
重ねさせてもらいました。
 たとえそれが私の独りよがり、思い込みでも許してね。とにかく5年前の4月1日(私には2日だったけど)をきっかけに、私は自分を
どんどん掘り下げて行くことになりました。

 苦しかったですよ。とてもとてもとてもこの世からいなくなりたかった。(だって、この世にもうれすり〜はいないんだし)

 5年も想わせてくれてありがとう。
その想いが私を一皮剥かせてくれたと思っています。
 もうあんまり怖いことはないです。あっちの世界にも子供の頃のような恐怖感も違和感もないし、周囲に迷惑を掛けたり痛みに苦しむ
よりなら・・ と思うくらい身近だし。
 でも急がなくてもいいんだよ、とりあえずは今を頑張って、こんな自分でも役に立つ人がいるなら、本心を隠しても演技をして励ましたり、
すっごく毎日が楽しい振りをしたり、そして、そんな自分の行為への反応に驚いて自分自身が生きる力を貰ったり・・・

 そして家族(実はあんまり好きではなかった今の家族や、実は大嫌いだった生まれた家の家族)のこと、在ることに感謝できそうな自分に
びっくりです。

 れすり〜のこと、タイミングとかきっかけと言うのはれすり〜を知らない人だからよね。
れすり〜でなければ、ここまで私に教えてはくれなかったと思います。(私が聞く耳を持たなかった。)

 私はいつでも好きな人がたくさんいて、けっこうそれが入れ替わったりしていますが、その中のれすり〜だけは、そういう意味でも絶対です。
多情で浮気な私でも、れすり〜の存在が消えることはこの世で生きている限りないでしょう。たくさんたくさんたくさん想って、もう、血肉の
一部になってしまっているんですもん。

 れすり〜ファンのたくさんの方々は、この五年をどう受け止められたのでしょうね。
れすり〜って、自分の気持ちのどの位置にいるのでしょう。

 たぶん、たくさんの方と同じような位置に私もあると思います。表現の仕方は違っても、結局れすり〜ってそういう人だったから、こういう
私たちをここまで想わせた(狂わせた??)のだから。

 れすり〜をお守りみたいに、いつも懐に抱えながら、私はこれからだって好きなことを探し続けますよ。
そのエネルギー量はだいぶ減ってきて、好きなことより生きてるのがやっとみたいな年齢になってきたけど、好きなことがどんどん替わっても
お守りはずっと替わらず胸の中にいます。

 れすり〜を「特別」って感じられる人は、実はとっても幸福なんだって思いません??


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